小嶋 貴校は中学を開設されて一四年目を迎えました。中高一貫校としてはまだ新しい学校ですが、昨年の入試では応募者数が4800人と、首都圏最高となりました。また、大学合格実績も年々伸びている状況です。まだまだ公立高校が優勢だと言われている埼玉県において、これほどの結果を出せるのはなぜかについて、本日はお話をうかがえればと思っています。
まず、中学を開設された経緯についてお聞かせいただけますか。
佐藤理事長 本学園(佐藤栄学園)が法人を設立したのが1971年です。その時期はちょうど第2次のベビーブームだったので、将来的な生徒の急増という社会のニーズに応えられるようにと、まず1972年に埼玉栄高等学校を開校しました。その3年後の1975年に、本校(当時の名称は埼玉栄東高等学校)を開校しました。本校開校の目的はまず、進学に目標を絞ることにありました。当時、埼玉県内に私立の進学校はありませんでしたので、生徒が学びという目標に向かい、目標の実現に向かって努力していける場をつくりたかったのです。
小嶋 当時の埼玉県における公立校優勢の状況というのは、今とは比べ物にならないほど強かったと思います。その中で私立の進学校をつくるのは、とても大変だったのではないですか。「私立の進学校」というイメージはすぐに浸透したのでしょうか。
佐藤理事長 開校後の数年間は、「進学校」というイメージはなかなか周囲に通じませんでした。すでにあった埼玉栄高等学校と校名が似ていたので、同じようなイメージを持たれてしまったということも一因としてありました。また、当時の埼玉県では、私立校は公立校に入学できない生徒が行く学校という認識が一般的で、公立校の受け皿的なイメージが強く、それを払拭するのがどれほど大変かということを実感しましたね。イメージ払拭のために何が必要か、検討を重ねた結果、校名変更、男女共学、中高一貫教育という三つの方針が出てきました。
小嶋 この三つの方針の意図はどこにあったのでしょうか。
佐藤理事長 校名変更については先にお話しました通り、埼玉栄高等学校とのイメージの分離がねらいでした。それから、男女共学につきましては、埼玉県内の歴史のある公立校のほとんどは男子校か女子校でしたから、それにならって男子校としてスタートしたのですが、社会全体が男女平等になりつつあるのに、学校だけが男女別学というのは不自然だと思い直し、共学校化を決めました。時代のニーズに合ったものにしたいという思いもありましたし、公立校との違いをつけるという意図もありました。
最後に中高一貫教育ですが、生徒の学力を伸ばすためには、高校の3年間よりも中学高校の6年間をかけたほうが良いと考えました。
全てを急に変えることはできないので、まず校名を栄東高等学校とし、同時に共学校にしました。その後の5、6年間で学内の体制も整い、世間からも「進学校」と認識されるようになってきたと思います。
小嶋 公立校と違った点を「売り」にすることで、受験生のニーズをつかみ、「進学校」づくりにつなげて行ったのですね。共学校化もそうですが、特に中高一貫教育は、当時の公立校にはなかなか真似ができなかったでしょうから、差別化をはかるためには効果のある試みだと思います。
佐藤理事長 中高一貫教育が、生徒のためにも、進学校を目指す本校にとっても良いことはわかっていたのですが、あまり前例が無いだけに、準備にも時間を必要としました。中学校開設を決断したのは1988年のことですが、実現したのは4年後の1992年でした。なぜこんなに時間がかかったかといいますと、中高一貫教育を始めるにあたって、教育目標をきちんと整えたかったからです。もちろん、高校開校の時点で建学の精神はあったのですが、それを元にした教育目標というのは、環境とともに成長しなければ、意味がありません。また、教育目標があっても、それを実現できる土壌、つまり12歳から18歳までの年齢に合った学習体制を整えないと、目標自体が「絵にかいた餅」になってしまいますから。
本校の建学の精神は「人間是宝」です。言い替えれば「人は生きた資本であり、資産である」という意味です。その「資産」をどうつくるか、といった意味を込め「若人の未来を考えて、内在する可能性をいかに開発するか」をテーマとして掲げました。そのテーマを学校としてどう実現するかを考えた時に、出てきたのが「創造する心と知性を育てる」という言葉でした。生徒にクリエイトさせてチャレンジさせて、目的達成に感動を与えようと。これが、「クリエイト・チャレンジ・ロマン」という3つの教育実践理念につながりました。また、本校が生徒に求める人間像は「文化・経済・発展の先覚者であり、世界のグローバル社会のリーダーとして活躍できる人間」としました。この人間像を実現するとなると、語学、科学、日本文化など、身に付けさせなければならないものがたくさんあると。そのような教育内容の検討にも時間がかかり、決断から4年後の開設となったのです。
小嶋 中学校開設当初は、中学の校舎は高校と少し離れていたように記憶しているのですが、これには何か意図があったのでしょうか。
佐藤理事長 中高一貫スタートの初年度は、高校生と中学一年生という構成になるわけです。少し年齢がはなれているので、まず、校舎も少し離してつくって、お互いの存在に徐々に慣れさせていこうという意図がありました。それは生徒のためだけではなく、教員に対しても同じでした。これまで高校しか見ていなかった教員にも、中学の存在に徐々に慣れていってもらおうという思いでした。
小嶋 中学校開設までの準備といい、開設当初の校舎の配置といい、随分慎重に準備を進めてこられたのですね。中学校開設時の、内部の先生方の反応はいかがでしたか。例えば、先生方の中には「高校がうまくいっているから、わざわざ中学をつくらなくてもよいのではないか」という意見はありませんでしたか。
佐藤理事長 もちろんありました。私としては慎重に準備を進めたつもりだったのですが、実際にスタートしてみると、教員に学校の方針の意図と言いますか、「なぜこうするのか」が完全には伝わっていなかったことが分かりました。当時のさまざまな試みが、教員にとってはただの校長の思いつきに見えていた部分も多々あったようですね。例えば「中高一貫にすると言っておきながら、離れた場所に校舎をつくっては意味がないのではないか」や「本校はどこに向かっているのか全くわからない」など、具体的な不満や疑問も出てきました。
実は当時は私もリーダーとして、まだ実現できていない目標を明確に示すことに少し引け目を感じていました。しかし、そのような教員の声を聞いて、目標と到達点をはっきりと示すことがリーダーの役目であり、改革の第一条件だと自覚しました。それで、改めて教員を集めて本校の目標について話をしたのです。そこである程度、教員全体の意思統一が図れたと思います。
例えば、「進学校にする」という目標があっても、まだ実績が出ていないのに「国立大学、難関私立大学○○名進学」と言うのがおこがましく、言葉を濁していた部分がありました。しかしそれでは教員もどうすればよいかわからないわけです。
実際に具体的目標を示してみると、逆に教員から「それを実現するのであれば、入学者のレベル、教える中身をこう変えなくてはいけない」など、意見を出してくれるようになり、学校全体の意識が高まりました。改革にはまず全員の共通理解が必要なのだと痛感しましたね。
小嶋 リーダーとしては、あまり具体的な数字を示すと、先生方が負担に感じてしまうのではないか、という心配がありますよね。達成していない目標を組織の内部に示すというのは、リーダーにとっても勇気がいるものだと思います。しかし、目標がなければ実現へのプロセスも見えてこないということですね。
貴校の場合は中学校を開設したことで、学内の組織構成も変わり、この時期は大変だったのではないですか。
佐藤理事長 中学を開設した際、これまで高校を教えていた教員のうち、何名かに中学に異動してもらいました。私としては中学生を教える適任者を選んだつもりだったのですが、どうも教員の中には階級意識のようなものがありまして、中学に行けと言われることは、能力が無いと評価されているのだ、と受け取る教員もおりました。納得して中学に行ってもらうためには、教員一人ひとりの性格や教え方を評価し、「だからこそ中学で教えてもらいたい」という意思を明確に伝えなければならないと思い、それを実践しました。教員にモチベーションを高く保ってもらえないと、良い教育はできませんから。
小嶋 学校としての目標を、先生一人ひとりに理解してもらえる形に落とし込んで伝えていったのですね。
佐藤理事長 はい。さきほど、目標と到達点を示すのがリーダーの役割だとお話しましたが、そればかりでもいけないのですね。目標を示すことは大切なのですが、それだけでは、メンバーはついてきてくれません。実際に学期中に5名もの教員が一度に退職届を出したこともあります。私の思いの伝え方が足りなかったのでしょう。でも「去る者は追わず」と。「いつか、本校も花開く時が来る。その時は『ああ、あそこも立派な花が咲いたな』と、君達も外から、たまには眺めてくれよ」というようなことを言いまして、負け惜しみのような形で退職届を受け取ったこともありました。そのような経験をしながら、教員一人ひとりと向き合うことの大切さを学びました。
小嶋 組織としての目標を掲げること、それを個々人に理解してもらえる形で伝えること。どちらも教員のモチベーションを高く保つために必要だということですね。組織が形を変えようとする時には、ものすごいエネルギーを必要とするのだということが、実感として伝わってきます。
佐藤理事長 教員が一度に退職した時も、怪我の功名と言いますか、逆に残った教員達のつながりが強くなる、といった事もありました。今は教員みんなが頑張ってやってくれておりますけれども、中学校開設当初は本当にいろいろなことがありましたね。学校としても当時は定員を集めるだけで精一杯でしたし。生徒達の入学時の偏差値は今より15~20も低かったのではないかと思います。開校して12年で、ようやく「進学校」としてのイメージがかなり強くなってきました。学校内の組織も落ち着いてきましたので、当初の計画どおり、中学と高校を同じ校舎にすることになりました。このやり方ですと、最初から同じ校舎にするよりも、お金が余分にかかります。遠回りをしたようにも見えますが、今は、時間をかけてやってきたことが、結果的に良かったと思っています。
小嶋 先生方のモチベーションや考え方も、中学開校当初と現在では随分変わってきたでしょうね。現在は特に入口でも出口でも、結果を出し、着実に伸びていますし。
佐藤理事長 そうですね。良くなった部分も多くあると思います。しかし、開校当初と比べて現状を守ろうとする教員が多くなっているのも事実ですね。「ここまで来れたからもういいじゃないか」というような。今は、外からの刺激を常に受けながら、同時に自分自身を見つめながらやっていくという、改革というか、教員のモチベーションを保っていくのが、大変難しいことだなということを痛切に感じています。
小嶋 今後さらに改革を進めるためには、現状に慢心しないための仕掛けのようなものが必要だということですね。そのために、何をされていますか。
佐藤理事長 中学開校後10年目の2001年に、本校では「ファイブ21」という目標を発表しました。これは、21世紀に、栄東中学校が知能集団として存続するためにクリアすべき5項目です。
小嶋 教員間での現状の再認識といいますか、意思統一のようなものですね。具体的な内容を教えていただけますか。
佐藤理事長 「ファイブ21」は、5つの目標からなっています。
・ 1つ目は、「適正」です。すべてのものが適正であるかどうかということです。進学校という看板を掲げて、先生は適しているのかどうか。進学校にふさわしい環境、教育施設が整っているかなど、すべてについての適正です。
・2二つ目は、「調和」です。すべてにおいてバランスが取れているかどうか。先生と生徒の数とか、教具教材と生徒のバランスとか、先生の研究時間と授業時間とか、すべてにおけるバランスです。
・3三つ目が、「敏速」、私たちが社会の変化に敏速に対応できているかどうかです。いろいろ理屈をつけて、動きが鈍っていないかどうかです。
・4つ目が「和」です。各セクションの長所が、全体の組織として連携・活用できているかどうか、効果的に動いているかどうかです。
・5つ目が「建学の精神の具現化」です。人の和が建学の理想に向かって結集しているかどうか。目的意識を持って、目的を疑わず事を進めているかどうかです。
小嶋 5つ目の「建学の精神の具現化」ですが、私はこれまで、建学の精神とは主に生徒に対してのものだと捉えていましたが、貴校の場合は建学の精神は、先生方に対してのものでもあるのですね。
佐藤理事長 本校の建学の精神である「人間是宝」や校訓「今日学べ」は、もちろん教員にもあてはまるものです。教員も生徒同様、日々努力して自分を高めていかなければなりません。そういった意味では、建学の精神とは学校組織全体を動かす原動力だと言えます。
小嶋 外側から見ていますと、貴校は現状に慢心することなく、常に新しい試みに挑戦されているように見えます。2004年に「東大クラス」を設置されたのもそのひとつだと思います。中学入学時からそのようなクラスがあるのは、他校ではあまり見られませんし、我々から見ても随分思い切ったことをされているな、という感じを受けるのですが、設置までの経緯など、お聞かせいただけますか。
佐藤理事長 実は東大クラスのきっかけは、「東大合格者を増やそう」ということではなかったのです。本校に入学してくる生徒達は入学時の偏差値を見ると大体15くらいの幅があります。それは教員達も認識をしていまして、ある程度クラスを分けて指導をしたほうが生徒達のためにも良いのではないか、という話が教員のほうから出てきました。
だったらコースを別にしたらどうかという話になったのです。その名称を「東大クラス」としたのには、別の理由があります。本校では「私の20年後の履歴書」を書くという授業が、中学2年時にあります。20年後の自分を想像しながら、そこまでの未来を履歴書のように書くというものです。生徒達はそこに、具体的に行きたい大学や、将来就きたい職業まで書きますので、一度、彼らが自分で書いた目標をどこまで実現できたのか、調べてみたことがあります。そうしましたら、過半数の生徒が、自分が書いた目標を実現していることがわかったのです。これには私も少し驚きましたが、目標を持てば生徒達は実現に向かってがんばるのだと、実感いたしました。
それであれば、早い段階から「東大」という目標を持たせたほうが生徒達も伸びるだろう、と考えたのです。ですから、「東大クラス」の設置は、決して思い付きではないのです。もちろんインパクトのあるネーミングですから、周囲からの反響もいろいろとありました。良いものは取り入れながら、結果を出せるよう、努力しているところです。東大クラスだけでなく、未来履歴書も今後続けていきますし、生徒に将来の目標を持たせるという意味では、生徒の保護者に自分の仕事について話してもらう場も設けています。
小嶋 東大クラスの設置は生徒だけでなく、先生方をも変えていくだろうという印象を受けます。設置に際しても、上から目標を押し付けるのではなく、先生方と話し合いながら計画を進めてこられたということからも、そう感じます。
貴校は昨年の入試では4800名という出願者を集めましたけれども、ここまでこられるまでの広報活動についてお聞かせいただけますか。中学校開設当初は受験生も多くなく、当然のことながら進学実績も見せられなかったと思いますが。
佐藤理事長 中学校開設当初は、まず周囲に本校について知ってもらう努力をしました。教員達に時代感覚を身につけさせたいということもあって、できるだけ多くの教員に塾を訪問してもらいました。中には「自分はセールスマンではない」といやがる教員もおりましたが、私は彼らには「広報活動とはモノを売ることではない。生徒を受験させるようにお願いするのではなく、自分達の学校の良さを伝えてこい」と話しました。
それでも外に出るのに消極的な教員には「自分を宣伝してくるように」と話しました。例えば「私はあの学校でこんな素晴らしい授業をやっているんです。よかったら来てみてください。そうすれば必ず夢は実現します」くらいのことを言ってみてはどうかと。そうすると、その先生はやっぱり、それだけのことを言える力がないわけです。でも、行かないと、自分は自信がないということになってしまう。そうすると今度はデータを作ってきて、「これを持って行っていいでしょうか」と見せに来たりするので「いいよ。やってこいよ」と、送り出すのです。そうやって一旦外に出てしまえば、大体の教員は前向きになります。例えばすでに入学している生徒が通っている塾を訪問して、生徒ががんばっている様子を話したり、それによってまたその塾が生徒を受験させてくれたりといったことを体験すると、やはり面白くなるのでしょうね。
小嶋 外に出ることに消極的な教員に「自分自身のプレゼンをしてこい」と送り出すというのは、面白いですね。佐藤先生はそのように、先生方一人ひとりと向き合いながら組織全体を動かしていくことが非常にうまいと感じます。他に先生方に対して働きかけられていることはありますか。
佐藤理事長 私は、学校経営について、教員が自分達で考えることが一番良いのではないかと思っています。例えば少子化という現象を統計的に見たら、これから学校はどうなるのか、そのような時代の中で本校が上位で生きていくためにはどうすれば良いのかということを、経営者の立場で考えさせるのです。
小嶋 先生方に当事者意識を持たせるということですね。現状を自分で把握して、例えばなぜ学校改革が必要なのかを自分なりに考えさせるというか。貴校の校訓「今日学べ」につながるようなところがありますよね。
佐藤理事長 当事者意識を持たせる試みの一つとして、時にはお金の話もします。例えば教員に「君は何年いる」とたずねるのです。その教員が「20年です」と答えたとしましょう。「20年間で、安かったけどいくらぐらいもらったと思う?」と聞いて、はっきりと答えられる教員はまずいないですね。実はそう問いかける時、私は前もってその金額を計算しておくのです。「ほんとに寝食忘れてやってくれたんだね。でも、ちょっと知っておいたほうがいいから、調べてみたら、あなたはこれまで、9000万円近くもらっているんだよ。随分お役に立ってもらっているのだけれど、その分、お金もお支払いしているんだよ」という話をする訳です。一度にあげれば大きな額ですが、月々のことですから、ほとんどの教員は驚きます。ですが、20年も本校にいる教員とそういう話をしますと、自分が本校の成長に携わり、学校からもその分支払ってもらって、「お互いにやってきた」「苦労を共にしてきた」という感覚が育ち、今後10年もより良い学校をつくっていこう、という意識が高まるのです。
小嶋 これまでの自分が学校にどれだけ貢献してきたか、また、反対に評価もされてきた事を考えれば、経営に関わろうという意識がより強くなるのですね。
実際には先生方に経営を完全にゆだねるわけではないけれども、経営について考えることで「現場力」といったものが組織につくのだと思います。
今日お話をうかがってきて、貴校がここまでくるのには大変なご苦労があったということがわかりました。特に、組織の動かし方と言いますか、佐藤先生ご自身が本当に細部まで心配りをして、改革を進めてこられたということがよくわかりました。
最後に、現在改革を試みているものの、なかなかうまくいかない学校に対して、アドバイスがあればうかがいたいのですが。
佐藤理事長 改革にあたって最も重要なのは、やはり「現状の把握」だと思います。常に社会の状況を見て、どう対応するかを考えていかないと、時代に取り残されてしまいます。今ですと、少子化の波が学校の入口にも出口にも影響を及ぼしていますよね。入口では入学者を選べない状況、出口では大学を選ばなければ大学進学は容易だという状況。そのような時代に、学校としてどのような姿勢で臨むか。これが大切ではないかと思います。
もうひとつ、改革において大切なのは教員です。組織に勇気を与え、一緒に動いてくれる人間かどうかということ。そして学校に愛情を持ってくれているかということ。教師と学校が対立する形ではなく、教員にこういう意識を持ってもらい、一緒に改革を進めていくことが大切だと思います。