第5回 品川女子学院中学高等学校

  • 「有言実行型」学校改革!

    言ったからにはやる。まず「変わる!」という宣言から。

    品川女子学院中学高等学校 副校長 漆 紫穂子 先生

    「私学マネジメントレビュー」第12号(2004年8月発行)より転載
    「生徒が主役」をキャッチコピーとし、1989年の改革着手以来、生徒の視点に立った改革を、次々と実現させてきた、品川女子学院中学高等学校。他に類を見ない改革のスピードで、2000年には応募者数が10倍以上になった。10年という短い期間で人気校へと変貌を遂げることができたのはなぜか。改革の仕掛け人、漆紫穂子先生にお話をうかがった。

    聞き手:株式会社コアネット副社長 小嶋隆
    「ここでつぶれては後悔する」危機感からのスタート

    小嶋 貴校は漆先生が経営に参画された1989年から、めざましい発展をされてきました。
    経営に参画された時点で、学校改革の必要性を強くお感じになられていたのは想像に難くありませんが、改革着手のきっかけと、当時の貴校の状況についてお話しいただけますか。

    漆副校長 私は大学卒業後、調布中学高等学校(現在田園調布学園中等部・高等部)で教員をしていました。おそらく1987年だったと思いますが、東京都の内部資料で、財産、応募者、偏差値などを勘案してつけられた「廃校危険度ランキング表」を見る機会がありました。品川女子学院はなんと廃校の危険度が高い学校として上位に挙げられていたのです。それを見てかなりのショックを受けました。いま思えば、それが本校に戻る直接のきっかけだったかもしれません。加えて、当時副校長だった母親が体を悪くし、仕事を続けられなくなったという状況もありました。
    私は教師の仕事をとても楽しんでやっていましたし、教師の仕事が自分に向いているとも感じていました。一方で本校に戻れば、厳しい状況下で経営に携わることになることは目に見えていました。幼い頃から両親が学校経営に携わる姿を見てきまして、教師と経営者では学校への関わり方が違うことを知っていましたので、迷いました。しかし、「曾祖母が創立した学校がここでつぶれてしまっては後悔する」と思い、戻ることを決意しました。
    本校に戻る際、同僚の先生に「改革は少しずつやってもだめだから、大きくやりなさい」というアドバイスを受け、決意をさらに固くしたことを覚えています。

    中高一貫教育を目標としなければ学校の存続は難しい

    小嶋 改革スタート時の貴校の状況について、もう少し詳しくお話しいただけますか。

    漆副校長 当時中学は、1学年が30人程度でした。それ以前には1学年5人という時代もありました。5学年5人だと、修学旅行にも行けないため、中学3学年合わせて実施したり、卒業アルバムも家庭のアルバムのように写真を貼って、学校内部で作成していたようです。高校は、なんとか定員を確保できていましたが、中学校をまわり、先生にお願いをして生徒を集めている状況でした。

    小嶋 それでも貴校が中学募集を止めなかったのは結果的に良かったと言えますね。中学、高校ともに厳しい状況の中で改革を始めるにあたり、まず何から始められたのですか。また、当初どういった目標設定をされていましたか。

    漆副校長 これといった目標設定はしていませんでした。とにかく「この学校をつぶしてはいけない」、「生徒が本校の生徒であることに誇りを持って欲しい」という2つの気持ちからの活動でした。
    何から手をつければ良いのか分からない状況ではありましたが、私には、中学の生徒数を増やし、一貫教育をしなければ、学校を存続させるのは難しいのではないかという思いがありました。はじめは、中学の生徒数を増やす方法がわからなかったのですが、知人からアドバイスを受け、塾訪問活動を始めました。まず校長が付き合いのあった塾から訪問し始め、だんだんとその範囲を広げていったのです。

    小嶋 今でこそ、どの学校も塾訪問活動をされていますが、当時としては珍しかったのではないでしょうか。塾を訪問して、どういうお話をされたのですか。

    まず「変わります」と宣言し、それから実行する方法を考えた

    漆副校長 宣伝するものはまだ何もなかったので、とにかく「どうすればよいでしょうか」と相談するところから始めました。いろいろなアドバイスをいただいて、良いと思ったことはどんどん実行していったのです。そして、「こんなことをやりました。これから良い学校にしていきます」という話をし、学校のPRにつなげていったのです。

    小嶋 良いと思ったことも、実行しなければ改革には結びつきません。実行に移された手順について、もう少しお話しいただけませんか。

    漆副校長 はじめは完全に広報主導型でした。外部からやったほうが良いと言われたことは、やると決めてしまってから、内部に伝えるという形をとっていました。また、「やる」と決めた時点で塾などにPRをし、それからやり方を考えるということもよくありました。

    小嶋 非常にスピード感のある、うまい情報発信だと思いますが、相当思い切ったやり方ですね。

    漆副校長 当時本校のイメージは悪かったので、その負のイメージを早く払拭したかったのです。ですからまず、「本校はものすごく変わりますよ」ということを宣言し、言ったからには実行するという方法をとったのです。学校内部は本当に大変でした。常に背水の陣ですから。

    小嶋 先生方も大変なご苦労をされたでしょうね。改革をすることに対して、反対をする先生はいらっしゃいましたか。

    漆副校長 とにかく何かをしなければ、学校がつぶれてしまうという意識は教員全員が持っていましたので、改革に対しては、賛成の人が多かったです。改革のスタートは危機感に支えられたと言えるでしょう。
    中学募集活動は、改革着手後にスタートしましたが、高校の生徒募集活動では、すでに多くの教員が中学校をまわっていました。また、中学校の先生に学校に来てもらって、校内で説明会を開いたりもしていましたから、教員一人ひとりが、生徒一人を入学させることがどれほど大変かを実感していました。それが反対が少なかった原因でもありますね。
    また、全教員が、改革に関連するさまざまな活動に携わりながら、意識を高めていきました。
    例えば高校については、何人かの教員で進学のためのプロジェクトチームをつくって活動していました。そのメンバーは「進学実績をなんとかしなければ」という意識が特に強かったと思います。一方で、中学の改革にも力を入れていきましたので、中学校の担任も新しい取り組みを行うなど、一生懸命でした。その後、制服変更のためのプロジェクトチームなどもできました。

    生徒の立場に立ち良いと思ったことを実行する

    漆副校長 改革の優先順位、目標設定というものはなく、外部から言われたこと、また、生徒に聞いて良いと思ったことを手当たり次第に実行していきましたが、常に意識していたのは「生徒が喜ぶことは何か」ということです。校長はずっと「生徒が主役」と言い続けてきましたから、私達も「生徒の立場から良いと思えること」を優先的に実行してきました。制服変更、シラバス作成、授業評価などもその例と言えるでしょう。
    また、校長は「学校らしくない学校にしたい」とも言い続けてきました。保守的で非常識と言われるような学校の世界ではなく、もっと外の社会を見ることを教員に望んでいました。例えば校舎建て替えの際、校長が「下駄箱があるのは病院と学校だけだ」と言い、本校は下駄箱をなくしました。学校の中ではあたり前だと思っていることも、外から見るとそうではない場合があります。それを探すことも、生徒の立場から考えることにつながると思います。

    小嶋 生徒の立場から考えるということは、ビジネスの現場に置き換えれば、「顧客第一主義」ということですよね。それはインターネット出願の導入や、面接の廃止などにも共通して見られる姿勢です。
    ここで改めて貴校の改革の歴史を振り返らせていただきますと、89年に高校特進コース設置、90年に制服変更、91年に校名変更、94年に面接の廃止など、外部から見ても大変わかりやすい改革をされていますね。またそれにともない、89年155名、90年257名、91年770名と応募者が急増しています。自分達の手で改革を行い、生徒数の増加、学力レベルの向上が成果として見え始めた頃、現場の先生方の意識はどのように変化していったのでしょうか。

    漆副校長 この時期は、「生徒が変わると教員は変わる」ということを実感しました。生徒からそれまでよりも難しい質問を受ければ、教員も勉強せざるを得ません。また、自分のやったことで自分の勤めている学校が良くなれば教員もやはりうれしいので、学校全体に活気が出てきました。

    小嶋 生徒が集まると先生がうれしい、先生がうれしいから学校も活気づく、その活気が外部に伝わって募集につながるという、良循環構造が早い段階でできあがったのでしょうね。

    漆副校長 学校の方針として、改革を行う際、一部の生徒だけが満足するやり方や、一方的な教員の解雇は極力避けてきました。それらを行っていれば改革のスピードはもう少し早かったのかもしれません。しかし結果的には組織を家族的ムードの中で運営できたことがよかったと思います。

    一番最初にやればニュースになりノウハウも集まってくる

    小嶋 90年代半ばになると、広報の活動もワンランクアップしますね。他校には見られない活動も多くありますが、どういったところから着想されていたのでしょうか。

    漆副校長 この時期は、他校や企業などの事例で良いと思ったことはどんどん取り入れました。また、本校にとって良いことで、校外からも良く見えるということを次第に意識するようになりました。広報効果を考え、他校がやっていないことをまずやるということも、意識的に行いました。リスクはありますが、一番最初にやればニュースになりますし、自然とノウハウも集まってきます。最初にできたのは実行のための決断が早かったからです。

    小嶋 「最初にやる」と言えば、学校説明会を毎週行うという試みは、当時としては画期的でしたね。

    漆副校長 当時、「買う客を増やす前に来る客を増やす」方針をとっている企業がありました。その考え方を学校に応用し、説明会を毎週行うことに決めたのです。本校について知ってもらうには、やはり実際に来てもらうのが一番です。来てもらって「学校が変わった」ことを感じてもらうのと同時に、良いことも悪いこともオープンにして、知った上で本校を選んで欲しいという気持ちもありました。
    現在も年間30回程説明会を行っていますが、時間と手間がかかりますので、多くの教員の協力無くしてはできないと思います。

    小嶋 学校説明会に関しては、回数だけでなく、内容、流れともに「すごくうまいな」と感じます。OHPなどを効果的に使用し、保護者や受験生が知りたい情報を的確に伝えていらっしゃいますね。先生方のプレゼンテーション能力も高いと思います。

    漆副校長 毎回意識しているのは、「誰のために何をやるのか」です。説明会では、こちらが伝えたいことと、相手が聞きたいことがあります。また、保護者、受験生それぞれが求める情報も違いますので、常にそのバランスを考えながら構成を考えています。それは本校の場合、説明会だけでなく、広報ツール全てに反映されています。
    私としては、できれば受験生本人に本校を選んでもらいたいと考えています。
    自分で決め、決めたことに責任を持てる子のほうが、後で伸びているからです。ですから説明会も子供にわかるように、工夫しています。

    現段階での学校の目標を明確にとらえなおす

    小嶋 現在も先生方は大変な努力をされているのですね。貴校のように改革が成功し、ここまでのレベルになると、現場の先生方の危機感も随分と薄れてくるのではないかと思いますが、組織のモチベーションを継続させるために何か行われているのでしょうか。

    漆副校長 改革がある程度軌道に乗り始めた時期から、

    1. 情報を全教員で共有する
    2. トップが塾などを訪問する際に、必ず誰かを同行させる
    3. 職員会議などの場で、広報部から常に内部にも情報を発信してもらう

    などということに気をつけるようにしてきました。また、新任の教員にはできるだけ広報部に入ってもらう、外部で行われる説明会には全教員年1回は参加してもらうなど、学校外の情報が学校内に浸透しやすいよう、意識的に活動を行っていた時期もあります。

    小嶋 教員の採用方法、研修についても教えていただけますか。貴校では、1997年から、教員を公募で採用されていますね。

    漆副校長 はい。「生徒にとって良い教員を採用したい」ということで、ある時期、一般企業と同じ方式での教員募集を始めました。一番多い時は700名ほどの応募がありました。一般企業の会社説明会のように、説明会も行いました。また、企業を経験していない教員は、採用後1年間、研修という形で、一般企業に出向してもらいました。ここ2年ほどは企業経験者を採用しているので、そういった研修は行っていませんが。

    小嶋 最近の新しい試みについてお話しいただけますか。

    漆副校長 本校はこれまで15年近く改革を続けてきました。改革のスピードを重視するあまり、過去を振り返ることができていない部分もあったと思います。それができないと、必要無いものを捨てることができず、そのせいで忙しくなってしまいます。また、改革のどの段階で本校に入ってきたかという意味での、世代間のギャップも出てきます。そういった部分が表面化したため、もう一度原点に戻り、「何のためにこの学校はあるのか」を考え、目標の再設定を行いました。

    小嶋 目標再設定の方法について、もう少し詳しくお話しいただけますか。

    漆副校長 目標の再設定は、2002年から2年間かけて行いました。
    まず、学校として何を目標にすべきかを明確にする必要がありました。そのため、本校として創立当初からそれまで目標にしてきたものをキーワード化し、すべて書き出しました。それらを整理していく中で、学校が目指す方向が見えてきました。その後、全教員に「学校として何を目標にすべきか」を問うアンケートを実施しました。
    2003年3月、校長から主任まで、学校の約半数の教員とともに合宿を行いました。そこでの作業は、いくつかのテーマ=目標について話し合い、その結果を各グループがプレゼンテーションするというものです。さらに、プレゼンテーションの結果と教員へのアンケート結果を合致させて、「ミッション」をつくったのです。「ミッション」を実現させるため、本校の10年後の姿「ビジョン」をつくり、「ミッション」「ビジョン」の2つを実現していくための判断のよりどころとなる「バリュー」をつくりました。この3つを「私たちの生き方―品川女子学院 ミッションステートメント(以下、「ミッションステートメント」)という1枚のリーフレットにまとめ、2004年4月に、教職員全員に配布しました。
    「ミッションステートメント」は今後本校の全ての活動の基礎になるものなので、その作成に全教員が関わることを意識的に行いました。

    小嶋 こういった目標は、組織の上層部がつくって全体での実施を促しても、なかなか浸透しにくいものです。「自分たちがつくった目標だ」と、教員一人ひとりが思えることは大変重要ですね。

    漆副校長 もうひとつ、組織に関して言えば、組織図を作り直し、2004年度から実施しています。組織はこれまでに何度も変更し、若い教員でも発言しやすい環境をつくってきました。今回の変更では、学年主任以上は管理職と決め、ある程度の権限を与えました。
    同時に、就業規則も2004年度から変更しました。事前に各教員に「多忙調査」というヒアリング調査を行いました。各教員が、何を忙しいと感じているか、その要因は何かを知るためです。調査結果を参考にして就業規則を改訂し、「変形労働時間制」としました。就業時間など、ルールが実態と違うと、無駄な感情のぶつかり合いが生じ、多忙感につながります。今回の改訂でそういった部分が随分軽くなったのではないかと思います。
    給与体系も改訂し、働きに関係ない手当て等のウェイトを減らし、賞与は働きに応じて支払われるという原則を確認しました。ミッション、ビジョン、バリューを大切にする人が、すべての面で評価されるという方向に集約していきたいと思っています。
    会議の数も減らしました。まず、職員会議を月1回としました。それから、毎週の定例会議もほとんど無くし、電子ミーティングに切り替えました。同時に会議の提案についてルールを決め、会議の提案者=責任者の責任を重くして、会議の時間を短縮しました。
    関係者にヒアリングし、原案を練ってから提案しますので、意思決定のスピードが格段に速くなりました。
    業務のアウトソーシングも意識的に行っています。改革当初は本校に足りない要素を外から補う目的で行っていましたが、現在は、コスト面を考え、教員にしかできない仕事以外はアウトソースするようにしています。

    28歳を目標に社会で活躍する女性を育てる

    小嶋 教育面では何か新しい試みをされていますか。

    漆副校長 これから生徒に対して「学力保証」「進路保証」の2つの約束をしようと思っています。「学力保証」とは、納得のいく大学に進学できること。「進路保証」とは、大学進学実績だけでなく、さらにその先の進路も納得できるものにすることです。まずは今年度の高校1年生から「学力保証」を、中学1年生から「進路保証」を実践していきます。今年から高校募集を停止しましたので、今後は「進路保証」を徹底していけると思います。
    私たちは28歳をひとつの目標として、社会で活躍する女性を育てるため、常に社会を見るようにしています。また、ジャーナリストの櫻井よしこさんや、竹中平蔵大臣などに講演をしていただいたり、藤原和博氏(現杉並区立和田中学校校長)と共同で研究授業を行ったり、「ここがヘンだよ日本人」の事務所と提携し、生徒が番組に出演している外国人達に、浅草を英語で案内するなど、外部の力を積極的に活用しています。
    今はさらにきめこまやかにするため、もう少し身近な人にも依頼し、卒業生、保護者で第一線で活躍している人と少人数のグループで話ができる進路・職業相談会を開いています。
    また、英語と数学のシラバスを、家庭学習まで含めた徹底したものにしました。同時に、数学の教科書を検定外のものにしました。補習、講習の制度も見直し、併せて、生徒に対しての面接を年間5回にして、「ひとりひとりの成長を大切にする」学校にしようとしています。

    小嶋 最後になりましたが、現在改革が遅れている学校、また、改革を試みているものの、動きの遅い学校に対して、何か助言があればいただきたいのですが。

    私学の存在意義を明確にすることが大切

    漆副校長 本校の改革の経験から、「良いと思ったことはすぐやる」ことが大切だと思います。思いついても、実行できなければ改革には結びつきません。今後、公立中学校、高等学校がますます力をつけてくることは目に見えていますので、改革のスピードを早めることは、ますます重要になってくると思います。
    同時に、コスト意識を持つことも大切です。公立と私立では一年間で約100万円の差がありますから、私学は必然的にその価値を求められます。
    また、私学の存在意義「なんのためにこの学校があるか」を明確にすることが大切だと思います。さらに、「こういう生徒に来て欲しい」ということをはっきりさせると同時に、学校としてできることとできないことを明確にし、その学校に合う生徒が集まるのが理想だと思います。

    小嶋 本日は貴重なお話をお聞かせいただき、ありがとうございました。貴校のさらなる変化を楽しみにしています。