第8回 横浜雙葉中学高等学校

  • 危機感が無いのが最大の危機

    「本校は何があっても潰れない」という慢心を払拭したかった。

    横浜雙葉中学高等学校 校長 千葉 拓司 先生

    「私学マネジメントレビュー」第15号(2005年6月発行)より転載
    100年余りの歴史を持つ横浜雙葉学園。開校以来「入試広報」という概念が全く無かったという。「本校の良さを伝えたい」という強い信念のもと、開校百周年に向けて、初めて外部に開くことができた。創立者の思いと横浜雙葉の原点は「開く」教育にあった。改革の経緯と、開いた後、どう変わったのかについて、千葉拓司校長にお話をうかがった。

    聞き手:株式会社コアネット副社長 小嶋隆

    小嶋 貴校は2000年に創立100周年を迎えられた、カトリックの、非常に歴史のある学校です。個人的な印象ですが、ミッション系の学校は、「ウワサ先行型」とでも言いますか、学校内の活動が外から見えにくく、閉じた印象を受けます。そういった中で貴校は近年「開かれた学校」「開かれた教育」をかなり意識され、情報を外に向けて発信されているように感じますが、この変化には、何かきっかけがあったのでしょうか。また、どういった方法で外に開かれたのでしょうか。本日はそのあたりのお話をお伺いできればと思います。

    千葉校長 本校はそれまで、広報活動などしたことのない学校でした。また、その必要性も感じていませんでした。黙っていても生徒は集まるし、レベルも維持できていたんですね。広報活動を行なう必要はないというのが学校の方針でした。ただ、当時はまだ60名(現在は90名)の募集でしたし、毎年定員の二倍前後の応募者がありましたし、卒業生や地元の方達などのいわゆる「固定客」もいましたので、学校としてもあまり危機感はありませんでした。
    1993年に私が教務部長に就任し、同時に入試関連の仕事も始めた際、あまりにも古色蒼然といいますか、内に閉じこもっているなという印象を受けました。一番驚いたのは、入学願書に家族全員の写真を要求していたことです。それも「できるだけ家で撮影してください」とお願いしていたので、「片親では合格できないのではないか」「背景の家を見ているのではないか」など、受験生の間ではいろいろと噂されていたのではないでしょうか。この家族写真の提出を止めることが、私が入試関連の仕事に携わった際の最初の仕事でした。

    小嶋 入試担当になられて、貴校の「閉じた」状況を実感されたのですね。その後どういった活動を始められたのですか。

    千葉校長 当時、学校としての広報予算はゼロでしたので、自己負担で、私学受験関係のイベントや、さまざまな集まりに出席し、情報を集めました。ちょうどその頃は不況で、いわゆる中間階級が減り、本校だけでなく、私学全体の「固定客」が減っていることは薄々感じていましたが、既に競合校がそれを察知して広報活動に取り組み始め、結果を出していることが分かりました。本校については「中がどうなっているか見えにくい」というイメージを保護者から持たれ、驚いたことに、「知り合いがいないと入れない」と思われていることも分かりました。本校ではそのような入試をしたことはありませんでしたが、学校内の活動も、入試の選抜方法も分からないので、いつのまにかそういった印象を持たれていたのですね。これにはかなりショックを受け、このイメージをなんとか払拭して、本校の本当の姿を伝え、良い面を知らせなければならないと強く思いました。

    小嶋 誤った情報が広まってしまうというのは、学校にとっては恐ろしいことですね。誤った情報を払拭し、貴校の良い部分を伝えるために、具体的にはどういったことをされたのですか。

    応募者減、校長交代で改革が本格的に始動した

    千葉校長 当時は「本校は卒業生が広告塔だから広報は必要ない」というのが伝統的な考えでしたし、「まだ入学していない生徒達のために、すでに入学している生徒からもらっているお金を使う必要はない」などという声もありました。それが変わったのは、1999年に前任の漆原が校長に就任してからです。本校は開校以来、聖職者が校長を務めてきていましたので、一般の信者が校長になるのは漆原が初めてでした。彼が広報の大切さについて理解を示してくれたので、ようやく本校は本格的に改革に取り組み始めたのです。
    実は漆原が校長に就任する直前、漆原と私は二人で「創立者の原点」を訊ねるため、フランスに行きました。その主な目的は、本校が百周年を迎えるにあたり、学校としてどういった方針を打ち出すかを探ることでした。本校の創立者はマザー・マチルドというフランス人のシスターです。彼女の足跡を尋ね、その非常に熱い思いを感じることができました。また、彼女が所属していた修道会「幼きイエス会」は、教育を受けられない子どもたちのために、学びの場を提供していたことも分かりました。つまり、本校の原点は「開く」教育だったのです。それに感動した私達は、本校の創立100周年に向けて「開く」活動をしようと決めたのです。
    校長が交代した1999年、もうひとつ象徴的な出来事がありました。定員90名のところに167名の応募しかなく、応募倍率が2倍を割ってしまったのです。応募者のレベルも少し下がりました。我々が「開かなければ」と思った矢先の出来事でした。私には「やっぱり来たか」という焦りもあった反面、思惑通りで嬉しくもありました。「本校は何もしなくても生徒が集まる」と考えていた先生方も危機感を持ってくれると考えたからです。
    広報活動については漆原が私に一任してくれたので、この時から広報活動を本格的に始めることができました。

    小嶋 100周年、校長交代、応募者数の減少と、全てが良いタイミングでぶつかり、学校を「開く」方向へと改革が具体的に進み始めたのですね。

    千葉校長 安定した受験生の確保のために、そして創立者の精神をよりどころにして、ありのままの学校、開かれた学校へといろいろな形で転換していこう、というのが改革時の目標でした。

    小嶋 改革スタート時の活動内容についてもう少し具体的にお聞かせいただけますか。

    入試広報活動を通し、多くの発見があった

    千葉校長 広報活動を始めるにあたり、入試委員会をつくったのですが、スタート時のメンバーは私を含め4、5名でした。まずは、委員となった教師達と、他校の説明会や、塾主催の説明会など、あらゆる説明会を見に行きました。他校や私学全体の状況について、メンバーが共通認識を持ったところで、本校の外への開き方を決め、活動を始めました。
    まずは、生徒がどの塾から来ているのかを知るため、在校生にアンケートを取りました。そして生徒の出身塾全てを本校に招いて、学園の教育についてありのままをお話ししました。もちろん、「知り合いがいないと入れないということは全くありません。現に、あなたがたの生徒さん達はお入りになっているでしょう」との説明もしました。
    その後、入試委員会のメンバーで手分けをし、本当にたくさんの塾を訪問しました。塾の教室を訪問して一番嬉しかったことは、その教室を卒業して本校に入学した生徒が、塾の後輩達に本校の宣伝をしてくれていたことでした。教室の壁に「横浜雙葉はこんなにいい学校です。ぜひ来てね」などと貼ってあるのを見て、「私達はこれまで生徒達に支えられていたのだ」という嬉しさを感じ、同時に何も知らなかったという申し訳なさを感じました。さらに一人ひとりの生徒がどれほど塾で頑張って、必死な思いで本校に入学してきているかを実感し、その子たちをもっともっと大切にしたいと感じましたね。塾訪問活動を通して、私も他の入試委員も多くの発見をしました。
    塾が主催してくれる説明会にも、呼ばれればどこへでも行って話をしました。その際、私一人ではなくできるだけ私とタイプの違う教師を連れて行くようにしました。やはり一人ですと、こちらの話す内容も、聞き手のとらえ方も一面的になってしまいますので。それから、これは特に若い教師について言えることなのですが、自分が話すことによって、それまで気がつかなかった自分の学校の良さに気付くようですね。同時に保護者の本校に対する期待とその責任も感じるようです。そのようにして積極的に校外に出て活動することで、私達の意識も変わっていったとともに、世間が持っていた本校への「わかりにくい」というイメージや閉じた印象も、少しずつ変わっていきました。

    小嶋 学校説明会についてはいかがですか。年に10回も説明会を行われる学校は、他にはあまりないと思いますが。

    千葉校長 本校の説明会は、年に2回大きな説明会をし、それとは別に年7、8回、6年生とそのご家族だけを対象にし、少人数で説明会を行うというスタイルです。このスタイルにしたのは、これまでさまざまな形の説明会をやってみて、少人数の説明会を保護者は求めているし、本校もそのほうが保護者に理解してもらえるのではないか、と感じたからです。小グループでの説明会では、10家族程度のグループを3グループほどつくって、家庭的な雰囲気の中でお話しします。本校は90人しか募集しない学校ですから、1年間の募集活動でお会いする人数も少ないのかも知れませんが、実際は1年に300人くらいには会っていることになるのでしょうね。

    小嶋 受験生側から見ると、ここまで丁寧に対応してくれる学校はあまりないと思います。説明会では、保護者や卒業生が話し手となることもあるようですね。

    千葉校長 本校について教師が話す内容には限界があります。ですから説明会では、本校の卒業生や在校生の保護者と一緒にパネルディスカッションを行ないました。お互いが自由に質問し、自由に答えるというスタイルです。「知り合いがないと入れないのですか」や「学費が高いのではないですか」など、普段受験生が聞きにくいような質問も交えて、より本校のことを良く知ってもらおうという試みです。毎年在校生の保護者の方にお願いしているのですが、みなさん快く引き受けてくださいますし、我々よりもよほど話が上手ですね。
    それから、おそらくこの近辺では本校が初めてだと思いますが、一九九九年からオープンキャンパスを始め、現在も行っています。初めて実施した際、私としては不安もあったのですが、多くの受験生が集まってくれてとても盛況でした。たくさんの方に「こんなに素敵な学校だとは思わなかった」と言っていただきました。そしてそれが、教師にとっても在校生にとっても、とても良い刺激となりました。校内にいるだけでは自校の良さに気付けないこともあったようで、外から見ていただいたことにより、本校にはいろいろな良い面があるのだということを改めて認識することができました。

    外部に開くことが、結果的に内部を開くことにもつながった

    千葉校長 オープンキャンパスの効果は募集以外の部分にも及びました。本校はそれまで在校生保護者の授業参観を行っていなかったのですが、外部の方に授業を見せたのだから、内部の方にも開こうということになり、授業参観を行うようになりました。教師達はこれをきっかけとして、より一層充実した授業というものを心掛けるようになったと思います。一人ひとりが広報マンだという意識も高めたかも知れません。
    もう一つ、本校には昔から「父母の会」という名の保護者会があるのですが、以前は学校が既に決定したことを話すだけという「報告会」だったようです。私が「父母の会」の担当者になってから、「何でも聞いてください」と言って、保護者からの質問全てに答えるようにし、自由に意見交換ができる場としました。今ではその場で実際にあった質問を集めた「父母の会Q&A」は小冊子としてまとめられるほどの厚さになりました。

    小嶋 外部に開くことが、結果的に内部に開くことにもつながったのですね。学校の改革とともに、事務部門では何かされましたか。

    千葉校長 学校を外部に開く際に、まずは本校の事務の受付窓口を改善しようと思いました。受験生や受験生の保護者が本校に電話をしてくる場合、電話の最初の対応で本校のイメージは決まってしまいます。ですから、とにかく電話の応対をきちんと行うよう事務部門の意識改革をしました。今では、本校の電話応対は他校からも誉められるほどになりました。

    小嶋 お話をうかがっていると、順調に改革を進めてこられた印象を受けますが、改革の弊害、障害などはありませんでしたか。

    千葉校長 学校の内外からさまざまな意見がありました。「どうして広報活動をしなければならないのか」「教師は広報活動をするためにこの学校に勤めているのではない」など、いろいろな声が聞こえてきました。ただそうは言いながらも一方では、応募者減の現状を見て「これではいけない」という思いもあったようです。
    学校説明会のためのパンフレットなども全て校内で制作していたのですが、職員会議の後、教師全員が印刷した原稿の製本を手伝ってくれました。
    私は、適材適所という言葉があるように、全員がひとつのことに集中して取り組む、というやり方には、良い面と悪い面があると思います。広報についても向き不向きもありますし、全員に同じ能力を求め全員で同じことをするのは、組織としても無理があるのではないでしょうか。それぞれが自分の持ち場の中で努力することが全体の調和につながるのではないかと思います。
    例えば、授業を一生懸命やることも広報活動のひとつです。熱心にクラブを指導することもそうです。それぞれの教師が、共通の認識の元でそれぞれのセクションの中で努力することが大切なのだと思います。それぞれの立場から、校内全体の活動を見てお互いに「ありがとう」と感謝し合える関係が、組織にとって必要ではないかなと。そのようにして教師全員を巻き込むという活動を続け広げて行くことが、これからも必要だと思います。組織のリーダーとしても、目に見える活動をしている人たちだけが広報活動をしているという意識を持ってしまうことは、リーダーとしての見方が偏りすぎているのではないかと思いますね。

    小嶋 リーダーは全体を見て、適材適所と言いますか、それぞれの教師がどのレベルまで、どういう方向性で関わることがベストなのかを考える能力が求められるということですね。そういった意味では、貴校では改革の良い方向へのスパイラルというのが、徐々にできつつあるという印象を受けますね。それから、貴校の場合、改革の成果は翌年の入試にすぐに反映されましたね。

    千葉校長 私は1999年のような応募者減は、1年か、せいぜい2年で元に戻らなければ、もうこの先戻ることはないと考えていました。そして1年後の2000年には321名の応募者を確保することができました。前年の倍ですね。「横浜雙葉の奇跡」という形でいろいろなところに取り上げられて嬉しかったのは確かですが、正直なところを申し上げますと、本校の教師全員の意識がまだ完全には変わっていないことを感じていましたので、「今後の改革にどうつなげようか」という思いもありました。それは今でも本校の課題ですし、新しい苦しみでもありますね。

    小嶋 改革がひとつの形となって表れ、何か以前と変わったことはありますか。

    千葉校長 外部に開いたばかりの頃は、「偏差値的に受けられるから受けた」という生徒も多少いましたが、現在は本校を良く理解し受験して入学する生徒が増えてきたという印象ですね。とても大変な一年間でしたが、得たものも大きかったと思います。一番大きかったのが、広報活動を通して、受験生がどれだけがんばって本校に入学してきたのかを実感できたことでしょうか。と同時に一緒に学ぶ機会を得られなかった受験生の存在も意識することができました。本校を選んでくれる生徒全員を大切にしたいと以前よりも強く思うようになり、入試時の対応にもこれまで以上に気をつけるようにしています。

    小嶋 入試時の対応について少し紹介していただけますか。

    「出会いへの感謝」の手紙と、願書受付時に早朝から並ばない方法の実施

    千葉校長 ひとつは入学なさらなかった方への手紙です。2000年度入試は4倍でしたから、本校で学びたいと思ってもかなわなかった受験生がたくさんいました。みんなに平等に開いたけれども、全員合格にはできないわけです。そういう思いがとても強くありまして、入学なさらなかった受験生にも何かメッセージを贈りたいなと考えたのが始まりです。つまり、入学した生徒だけではなくて、その背後にいる入学しなかった多くの子どもたちの思い。それも一緒に背負いながら教育をしていく、その決意というか思いを伝えたいという気持ちです。「出会いへの感謝」という気持ちをこめて、一通一通丁寧に書きました。これは私達の一方的な気持ちですから、受け入れられなくても仕方がないのですが、「やっぱり、受けてよかった。こんな形でお手紙までもらうと思わなかった」というお礼状もたくさんいただき、こちらとしても思いがけない気持ちでした。
    もうひとつ、今では多くの学校で行われていますが、入学願書受付時に、早い受験番号を取りたくて朝早くから並ぼうとする保護者に抽選券を渡して寒い中長時間待たなくても良いようにしています。受験番号は九時までに抽選券を渡した方の中での抽選となっています。ただ、何番目に並んだかを子どもに伝えたい保護者もいますので、抽選券を発行し持ち帰れるようにしています。早い受験番号を取っても合否には何の関係もないのですが、子どもを精一杯応援する親の気持ちを学校としても大切にしてあげたいと考えているのです。

    一人ひとりが「大切にされている」と思える組織づくり

    小嶋 千葉先生は今年度から校長先生に就任されましたが、校長としての今後の展望などをお聞かせいただけますか。

    千葉校長 学校として生徒を最も大切にするのは当然ですが、私としては、教師も同じように大切にしたいと思います。すべての人が神様に愛されて存在しているのですから、生徒も教師もすべてこの学校で大切にされているという実感をもって生活できるような温かい環境を作り上げたいと思っています。本当に大切にされたという思いを持つ。そういう関わり方をしていきたいと思います。今年度から、私は教師全員と面談をし、それぞれの良い面を見つけることにしました。若い教師からは早く面談をしてほしい、楽しみにしているという声が聞こえてきて、私のほうも期待が持てます。
    また、今年度の学校目標を「調和(ハーモニー)」としました。これからの教育を考えるとき最も大切なことは、生徒と保護者と教師が学校共同体の一員としていかに調和し一致しているかということだと思います。
    校長として年度当初に、「学校の主役は生徒であることを教師一人ひとりがしっかりと認識し、生徒の夢や希望の実現のために奉仕的に自分を捧げることが、雙葉の教育の原点である」と教師に伝えました。調和とは、例えて言えばオーケストラだと思います。みんな違った楽器を持っているけれど、一人ひとりが自分の楽器を一生懸命に演奏することで、みんなを感動させるような音楽を奏でる。私は本校をそんな学校にしたいと考えています。

    小嶋 最後になりましたが、今改革に取り組んでいる学校、また、今後改革に取り組もうとしている学校に、何かメッセージがありましたら、お願い致します。

    改革は私学が生きている証

    千葉校長 改革することは、私学が生きている証であり、常に必要なことだと思います。本校の場合は外に開き、広報活動を通して自分の学校の現実に気づかされました。改革をするということは、学校が自己研鑽をする良い機会だと思います。いつも学校をよりよく高めようという思いの中で努力することが、学校としての魅力を増し、さらに人を惹きつけるのでしょうね。個人としての人間の生き方と全く同じだと思います。
    それと同時に、他校と関わることによって、自校の独自性といいますか、大切にすべき部分を再発見することができます。別の言葉で言えば、私学はそれぞれが専門店なのだと思います。例えばフランス料理店ならフランス料理で勝負するしかないのです。他の真似をするのではなく、自校の独自性を理解し、それぞれの個性を磨く。私学全体が良くなるために大切なことだと思います。さらに、どのような改革においても、組織のメンバーが、自分の組織を愛することが大切だと思います。それにはまずリーダーが自分の学校を一番好きになることから改革はスタートするのではないでしょうか。