第7回 サレジオ学院中学校・高等学校

  • うちがなんぼの歴史もっとるねん

    歴史が浅いのは強み。 過去にとらわれず今一番良いと思うことをやる。

    サレジオ学院中学校・高等学校 校長 河合 恒男 先生

    「私学マネジメントレビュー」第14号(2005年3月発行)より転載
    川崎市に移転した当初は、その名前もあまり知られていなかったサレジオ学院中学校・高等学校。20年あまりで栄光学園、聖光学院と並ぶ「カトリック校の御三家」に成長を遂げた背景には、教員一人ひとりの熱意と組織としての強い結束力があった。サレジオ学院のこれまで、そしてこれからを、河合校長に語っていただいた。

    聞き手:株式会社コアネット副社長 小嶋隆

    小嶋 貴校は、1980年代後半から1990年代にかけて、大学合格実績を大きく伸ばし、現在では、栄光学園、聖光学院と並んで、「カトリック校の御三家」と呼ばれるまでになりました。創立当初、それほどの認知が無かった中から、どうやってここまでの成長を遂げられたのか、教えていただけますか。

    河合校長 本校は、1960年に「目黒サレジオ中学校」として、東京都目黒区に創立しました。日本にあるサレジオ会系列の学校としては、宮崎の日向学院、大阪の大阪星光学院に続き、本校が一番新しい学校です。3年後の1963年に高校を創立した際、校地が手狭になったこともあり、まず高校のみ、「川崎サレジオ高等学校」として川崎サレジオ教会の隣に校舎を建設し、移転しました。その後、1975年に中学校も川崎に移転し、「川崎サレジオ中学校・高等学校(1989年に『サレジオ学院中学校・高等学校』と校名変更)」として6ヵ年一貫教育を開始しました。
    川崎市に移転したばかりの60年代は、本校はのんびりとした学校でした。当時は、カトリックの理念に賛同して本校に入学した生徒、保護者が多かったですね。30%程度は信者だったと記憶しています。

    学校の存在を揺るがす危機が組織の結束を強めた

    河合校長 1960年代後半、本校の存在を揺るがすようなある出来事があり、その後しばらくの間、教育面でも、経営面でも、厳しい状態が続きました。当時は本当に大変でしたが、それをひとつの痛みとして受け止めながら、「このままではいけない。教科指導、生徒指導を本気でやらなければならない。」という気持ちが、教職員の間に育っていきました。今振り返ってみると、教職員が結束する機会となったのではないでしょうか。

    小嶋 ネガティブな部分があったからこそ、それをバネにして伸びてこられたとも言えるのでしょうね。改革が始まった頃、貴校はどのような状況だったのでしょうか。また、具体的にはどのような改革をされたのですか。

    河合校長 改革が始まったのは1980年代始めです。その頃は、生徒募集をしてもあまり集まらなくなっており、教員の危機感はさらに強くなっていました。その一方で、栄光学園や聖光学院を不合格になった、カトリック校を目指す生徒達が、本校に入学してきましたので、高いレベルの教育も求められていました。

    教員一人ひとりの取り組みが学校改革につながる

    河合校長 本校の改革は、一人ひとりの教員が行動を起こすところから始まりました。まず、それぞれの教員が生徒のために良いと思ったことに取り組んでいきました。その成果が具体的に形となって現れ始めたのは、1980年代半ば頃からです。

    小嶋 大学合格実績が上がり始めたのも1980年代ですね。当時、宿題の多さは他校に比べて群を抜いていたと記憶していますが。

    河合校長 これも一教員の行動から始まったことです。まず、25回生(1984年入学)の担任教員の一人が、多くの宿題を出すようになりました。彼は英語科の教員でしたから、まずそのやり方を英語科の教員が見習い始め、そこからしだいに他教科へも広がっていきました。当然保護者からのクレームは数多くありましたが、彼は神父でしたから、保護者もそれほど強くは反発できなかったのでしょう。6年後には実績が出ましたから、結果的には保護者に喜んでもらうことができました。

    小嶋 例えば宿題を多く出すということは、生徒はもちろん大変ですが、先生方にとっても仕事量が増え、負担となることでしょう。そういった理由で反対する先生はいらっしゃいませんでしたか。

    河合校長 確かに教員は大変になりますが、生徒の学力が上がるのを目の前で見ていれば、反対の声も小さくなります。「宿題改革」で生徒の学力がアップしましたので、次に英語、数学が先取り学習を進め、進学校に向けての改革を引っ張っていきました。
    この頃から、毎日行っていた部活動を、週3日にしたり、夏休みの講習を始めたりと、学校全体での取り組みが多くなりました。また、それまでは進路指導は学年主導で行っていましたが、その頃から進路指導部が主体となり、大学受験関連資料の分析や、配布を行うようになりました。「進学校を目指す」という方向性が明確になるとともに、中学受験においても、成績の良い生徒が集まり始めました。
    1984年には、長澤校長が就任しました。改革初期は早稲田、慶應、上智などの私立大学上位校の合格実績を上げることを目指していたのですが、この頃には目標が実現されるようになってきていたので、長澤校長は「難関国公立大学合格」を学校の目標として掲げました。その成果か、1989年には、国公立大学への合格者数が急激に伸びました。
    今振り返ってみると、教員達一人ひとりの熱意が学校全体に広がり、10年をかけてひとつの体制が出来たのではないかと思います。

    小嶋 改革当時、どのような広報活動を行われていましたか。

    河合校長 改革当初は行っていませんでしたが、ある時期から、塾訪問活動も行うようになりました。塾の各教室には、本校の進学に対する方向性や、人間教育の重要性をお話しして回りました。塾の統計的な資料なども入試に積極的に活用していきました。

    小嶋 先生方一人ひとりの「このままではいけない」という危機感からの行動が、学校全体に広がり、貴校をここまでの進学校に押し上げたのですね。お話をうかがっていて、先生方の「自分達で学校を変える」という熱意、そして実際に成し遂げられた、組織としての結束の強さを感じました。

    河合校長 私達は生徒の教育のために学校にいます。ですから教員には、生徒に良い教育を与える義務があるわけです。良いことは痛みを伴ってでも実行に移す、というのが本校の方針です。生徒のためにはもっとできることがあるでしょうし、これからもさまざまなことをしていきたいと思っています。

    小嶋 改革の結果、現在では、押しも押されもしない進学校へと変化を遂げられた貴校ですが、今後に向けてどのようなビジョンをお持ちですか。

    何もしなければ相対的に悪くなってしまう時代

    河合校長 これからは、学校に目標設定が無ければやっていけない時代だと思います。周囲が努力しているので、私達が何もしなければ相対的に悪くなってしまいます。
    本校では今、2010年を目標とした、中期計画を立てています。今年一年で構想を練り、2006年から実現に向けてスタートをする予定です。今は教員全員に、「今生徒達は変わっている。今の生徒達に何ができるか、一年かけて考えて欲しい。」という投げかけをしています。個人の考えを教科や分掌に集約させ、最終的には学校全体の目標としてまとめます。
    教員の中からは「なぜ今、こういうことをしなければならないのですか」という声も聞こえてきますが、私は、本校が学校そのものの存在としてこれまでよりも向上するためには、変わっていくことが必須だと思うのです。ただし、そのためには「今」をしっかりと把握することがとても大切です。
    私はいつも教員達に「今の本校の生徒は10年前の生徒ではないし、他校の生徒でもないので、比べないで欲しい。今ここにいる生徒達をしっかり見つめて欲しい」と話しています。過去や他校は良く思えることもあります。しかし、授業料をいただいているのは今本校に通っている生徒達からです。扱いにくいかもしれない。今の時代に染まった生徒もいるかもしれない。でも教員には、今の生徒を相手にしっかり教育をして欲しいと思いますし、今の生徒に合う教育をして欲しい。そう思います。たとえば、「最近の子は挨拶をしない」というのであれば、「では、どうすればよいか」を考えてほしいのです。しない子どもを、挨拶のできる子どもにするのが、今の我々の役割だからです。そういった意味での学校、教員の活性化も意識的に行っていきたいと考えています。

    小嶋 河合先生からご覧になって、今の生徒は昔と比べてどう変わってきたとお感じですか。

    河合校長 私は本校を「4つのH(Head:学力・判断力、Heart:気くばり・熱さ、Hands:実践力、Human Relation:人間関係)を大切にする学校だ」と言っています。このうち、四番目の「Human Relation:人間関係」が、今一番変わってきていると思います。本校の生徒に限らず、家庭での価値観、近隣社会との関係なども含め、社会全体において人間関係が希薄になってきている気がします。学校の中でどう人間関係をつくっていけるかということも、これからの課題です。
    また、本校の母体であるサレジオ会では、東アジア地区会議において、次の四つを柱として学校をつくっていこうと確認しました。

    1.温かく迎える家として
    2.人生に備える学校として
    3.福音(生きる喜び)を告げる

    教会として
    4.友人同士が出会い、楽しく過ごす
    遊び場として
    本校では今後、特に3と4に力を入れたいと思っています。

    小嶋 過去にとらわれず、現状の学校と生徒達を正確に把握し、そこをベースにして目標を作っていく。企業においても、学校においても、そういった形で目標を立てることはとても重要だと思います。

    学校の歴史が浅いのは逆に強みだと考えられる

    河合校長 私は、よく教員が持ち出す「過去の事例」という言葉が嫌いです。生徒が変わってきているので、過去の事例はほとんど役に立たないのです。「事例主義はやめよう、うち(本校)がなんぼの歴史もっとるねん」と、よく教員には言っています。本校はまだ創立40年あまりです。その分、自由な学校だと思っています。今の生徒のために一番良いと思ったことをやれば良いですし、間違っていたら直せば良いと思っています。

    小嶋 確かに歴史がある学校は、それが改革の弊害となるという話もよく聞きます。歴史が浅いというのは逆に機動力があるととらえることもできますね。
    今の生徒達に対し、すでに行われている試みがありましたら、お聞かせいただけますか。

    河合校長 昨年から始めた新しい試みとしては「職場訪問」があります。本校では、高校二年生から進学のためのクラス編成をします。そのために、高校1年生時に2泊3日の進路ガイダンスを行い、大学入試制度の説明、学部、学科紹介、職業適性検査、外部講師による講演などを実施しています。しかし、講演や、検査などをしても、働く現実を知らなければ意味が無いのではないか、と思い、生徒が実際の職場を訪問するプログラムをつくったのです。なぜなら、今の生徒達は自分の親が働いている現場というのを、ほとんど見たことがありませんから。
    実施している学年は、中学3年生です。保護者に頼み、今年は17箇所訪問先をつくり、生徒達に自由に訪問先を選ばせ小グループで見学を行いました。訪問先には、単に仕事内容の説明だけではなく、働いている現場を見学させてもらえるよう、お願いをしています。
    進学に関しては、最近、慎重な考えで進学先を決めている生徒が多いように感じています。子どもの精神面を考えれば、いちかばちかの国公立大学よりも、難関私立大学を目指したほうが良いのではないかと考える保護者も増えてきています。ですから学校としては、もう少しチャレンジする気持ちを高めてもらえるよう、高校2年生からのコース内容を検討中です。

    オヤジの会の合宿から保護者の本音を拾う

    小嶋 今の保護者のニーズを知るためには、どういった方法を取られていますか。

    河合校長 本校は、川崎に移転した当時から、定期的に保護者対象の地区懇談会を行ってきました。従来は学校側からの出席者は、校長もしくは校長代理のみでしたので、懇談会の場が、保護者からの不満の場(保護者が教員に対する不満を述べるだけの場)になりがちでした。私が校長になってからは、地区懇談会の場を「学校の方針を説明する場」ととらえ、生徒指導部、進路指導部、教務部の教員を出席させ、私が全体を説明し、それぞれの部分の説明を教員に任せるというやり方としたのです。すると、懇談会の場が、単に保護者からの文句を拾う場ではなく、こちらの思いがきちんと伝わり、保護者からの前向きな意見も出してもらえる、良い場となりました。
    教員達も、それまでは「何を言われているかわからない」と、地区懇談会を警戒していた面もありましたが、自分達が参加できるようになると、意識が変わってきました。今では、教員が保護者の意見を直接感じ取ることができる貴重な場となっています。
    また、本校には、オヤジ(父親)の会、母親の会があるのですが、保護者が定期的に集まる場をつくることにより、一種の自治的な力が生まれてくることもあります。何か困ったことが起こっても、保護者同士の中で自治力が働くため、大事には至らない、というようなケースもあります。
    「オヤジの会」は毎月土曜日に開いているのですが、年に一度、1泊2日の合宿をします。合宿では「父親とは何か」や「男としてどうあるべきか」などについて、教員も交えてじっくりと語り合います。くつろいだ雰囲気の中で、保護者も本音で話してくれます。

    小嶋 「地区懇談会」も「オヤジの会」も、保護者のニーズを拾う場としてうまく機能しているとともに、保護者がとても良い形で経営参画をしていると思います。
    貴校はやはり教員、保護者など、個々人を学校全体の活動に巻き込んでいくやり方が非常にうまいと感じますね。
    河合先生ご自身は、今先生方とどのように向き合っていらっしゃるのですか。

    校長は改革を円滑に進めるコーディネーター

    河合校長 私は、校長は、改革を円滑に進めるためのコーディネーターだと思っています。ですから詳細は教員が各部署で思ったとおりやってくれればいいのです。時々教員達は「会議で決まりませんでした」という結論を私に持ってくるのですが、私はそういう場合、「自分達で決めてから持ってきてください」と、もう一度教員に戻します。また、教員には日頃から「責任を取るのは私だから、とにかくやってみなさい」と言っています。失敗したら失敗した時です。やってみればいいのです。校長主導でなく、学校全体で改革に取り組んでいけば良いと考えています。

    小嶋 さきほど、教員に中期目標を立てさせているというお話がありましたが、事務職員に対しても同じように目標を立てさせているのですか。

    河合校長 もちろんです。私は今後、事務をもっと大切にしたいと考えています。これまではどうしても事務が教員をバックアップする形となっていましたが、これからの経営を考えれば、教員、事務は学校の両輪として、相互補完的であるべきだと思います。

    今の社会を変えていく人間づくりが求められている

    小嶋 最後になりましたが、今後私学全体が意識しなければならない事などをお聞かせいただけますか。

    河合校長 先ほども言いましたが、これからの学校は、「他者への関心をもっと深める教育」をしていかなければならないと思います。それは、「自分がありがたい存在であるとともに、隣にいる人もありがたい存在だと思えるか」ということかもしれません。今の時代、心の底から挨拶ができる人が何人いるでしょうか。心を開き、他者への関心を高めることが今一番大切なことだと思います。自分の家庭さえよければ、自分の国さえよければ、という人はいつか窒息してしまうと思います。
    今まで私達学校は「今の社会に役立つ人間づくり」をしてきたと思うのです。しかし今、学校に求められているのは「今の社会を変えていく人間づくり」ではないかと思うのです。私は、今の社会や状況に疑問を持ち、おかしいと思った部分を直していける若者をつくるのが学校の本当の役割ではないかと感じます。同時に生徒達には、目標をつくり、目指せる力、判断力も必要とされると思います。
    それから日本人は、歴史認識をもっと深めないと、とんでもない方向に行ってしまうのではないだろうかと危惧しています。受験のための勉強ではなく、これから国際的に活躍する生徒達には、現代史、近代史をもっと勉強して欲しいと思います。それは、今の生徒達が親になる時の準備でもあります。そういった部分にも学校は責任を持たなければならないと思っています。

    私学の理想形は「母校」ではなく「母港」

    河合校長 私は本校の卒業生にいつも「本校はおまえたちの母港だ。出て行って難破するかもしれないし、時には燃料切れになるかもしれない。そういう時はいつでも帰って来い。ただし、いつまでもおったらあかんぞ。また新たな気持ちで航海に出るのだぞ」と話しています。

    小嶋 私学には教員の異動がありませんから、卒業生がいつ訪問しても、そこに教えてもらった先生がいらっしゃいます。「人生の母港」は、学校として理想の形だと思いますし、私学だからこそ、実現できるものですね。
    本日はお忙しい中、貴重なお話をありがとうございました。