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スペシャル・インタビュー

劇作家・演出家・青年団主宰 平田オリザさん

スペシャル・インタビューの第3弾は、日本の現代演劇界でいまもっとも注目されている劇作家・演出家の平田オリザさんに登場いただきます。
大阪大学COデザインセンター特任教授、東京藝術大学COI研究推進機構特任教授、四国学院大学客員教授・学長特別補佐、京都文教大学客員教授を務められ、さらに新しい大学入試にも携わっている平田氏に、大学入試改革を見据えた、これから求められるコミュニケーションスキルについてお話しいただきました。ここでは2016年9月29日・2017年5月18日に開催された私学マネジメント協会主催定例セミナーから要旨を抜粋してお伝えします。

はじめに

日本経団連の調査では、企業が選考時に重視する要素は常にコミュニケーション能力がトップとなっています。語学力は2010年だと2.6%となっており、少なくとも英語だけ出来ても就職できない時代になっています。だからと言って、何が何でもコミュニケーション能力を育てよう!ということではなく、ここで語られるコミュニケーション能力とは何か、またそれを学校で育てる必要があるのかということを把握することが大事であると考えています。

今コミュニケーション教育が必要とされている大きな理由の一つが大学入試改革です。今までの入試は、その段階までの生徒が持っている知識の量を問うものでした。しかし、皆様もご承知の通り新しい入試では「思考力・判断力・表現力」そして「主体性・多様性・協働性」を測定します。この新型入試への移行もますます進んでおり、実施した大学から補助金が配られるようにもなっています。

PISAが求める力とは

国際学力調査「PISA」が本当に求めているスキルがどのようなものか考えたことはありますでしょうか。私は大きく3つあると考えています。

まず一つは「異文化理解能力」です。日本の子どもは、2つ以上解答がある問題への白紙回答率が高いという結果になっています。例えば落書き問題。この問題は壁に落書きをされて困っている人と、落書きもアートだと主張する人の手紙を見て、共通点はどのようなところか、共通の主張は何か等を聞く問いです。きっと日本の生徒たちは何を聞かれているかも分からなかったのではないかと思います。ここでは好きな絵ならいい、明日取り壊す壁ならいい、独裁国家における命がけの訴えならいい、など、同じ壁の落書きでも許される場合と許されない場合があることに気づくこと、そして国が変われば、落書きでしか主張できない声もあるということに、思いをはせることが重要なポイントとなり、これがOECDの求める異文化理解能力なのです。

こうしたことに、いち早く目を付けたのがフィンランドです。フィンランドメソッドでは、授業の最後に集団で取り組む活動が組み込まれています。様々な背景を持つフィンランドでは、インプット(感じ方)はそれぞれで、しかし様々な背景をもつ人間同士で、アウトプットは1つのものを時間内に作り上げることを学んでいくのです。フィンランドの教育は日本の国語教育と真逆です。日本ではインプットを統一し、アウトプットは感想文なりスピーチなり、各自の自由という考え方が強くそういった教育をしてきました。

どのような国家でも、近代国家の成立の過程では言語の統一が必要となります。しかし社会が成熟していくと、持続可能性の担保のために多様性が必要となります。言語に関しても多様性を受け入れるべきですが、日本はその切り替えが少し遅いのが実情です。

2つ目は合意形成能力です。答えを一つにするために、「とことん話し合え」ともよく言われますが、どんなに話し合ってもイスラム教徒はキリスト教徒にならないように、話し合っても決まらないことはたくさんあります。じゃんけんで決めていいこと、20分で決めなければいけないこと、一晩かけて話し合っていいこと、を区別するのが大人のコミュニケーションであり、合意形成能力であると考えます。

3つめは社交性です。社交性というと、上辺だけの関係だとマイナスに捉えられます。もっと心から分かり合うべき、といったような感覚が強いのです。しかし、ほぼ単一民族とされてきた日本人同士でも「心からわかり合う」ということは簡単ではありません。大事なことは「分かり合う」ことを最終目的にするのか、「分かり合えない中で、どうにか共有できるものを見つける」と考えるかという点にあります。私は、教育で身につけていくべきなのは、異なる背景や異なる文化を持った相手ともどうにか上手くやっていく力ではないかと考えます。

子どもたちのコミュニケーション能力は低下しているのか

子どもたちのコミュニケーション力低下が話題になりますが、言語力が下がったとするデータは1つもありません。むしろ上がっているとする学者もいます。しかし、単語だけでしゃべる子どもたちは増えていると感じます。例えば、兄弟が多ければ「ケーキ」とだけ言ってもケーキは出てきません。しかし子どもが自分1人なら「ケーキ」という一言だけで、優しいお母さんが先回りをしてケーキを出してくれます。今の時代、優しい先生や、気の合う友達だけの、温室状態で育ってきた子どもたちが非常に多くなってきました。すべて言わなくても良い環境になっているのです。

そういった環境で育ってきた子どもたちが、高校や大学でいきなりコミュニケーション能力を求められるのは酷なことです。

通常の社会では、自己があり、家族があり、知り合いがあり、他者がいる。しかしいまは、自分を分かってくれる人とばかり付き合って、自分のことを分かってくれない人と関わらない。すると、分かっていない=嫌われている、となる。そのギャップに負けて、引きこもりが生まれる場合もあります。コミュニケーション能力が低下しているのは、環境が要因であると考えます。

言葉は、子どもたちの側に伝えたいという欲求がないと身につきません。その欲求は、伝わらない経験から生まれてくるのです。だからこそ伝える技術を教えることから、伝えたいという気持ちを持たせる教育へ転換していく必要があるのです。

学校で行うべきこととは?

コミュニケーション能力を高めるために一番有効なのは体験教育で、演劇も疑似的な体験を生み出すので近いことはできると考えています。

どんなクラスにも無口な子はいます。昔は無口な子でも、手に職をつければ生きていけました。しかし今、無口な人は就ける職が限られてきています。そうした無口な子でも、最低限のコミュニケーション力(挨拶、自己紹介、感謝と謝罪、嫌なことは嫌という、など)は学校教育でつけていく必要があります。

現在グローバル社会が求める能力はさらに上がってきています。しかしその一方で社会がそれを育てる力は下がっているため、どんどんギャップが広がっています。それを埋められるのは学校・教育であると考えます。

日本社会全体で、グローバル・コミュニケーション・スキル(異文化理解能力)と、日本型のコミュニケーション能力の間で、ダブルバインド(二重拘束)に陥っていないかと感じています。決してこの状況が駄目だということではなく、それを前提にどう生きていくかということも一つポイントになります。私たちは日本文化と日本語の中で生きているので、折り合いをつけて物事を進めていく必要があります。企業も学校も、このダブルバインドを無自覚に押し付けていることを、まず自覚することが必要なのではないでしょうか。

(2016年9月)

平田オリザさん
劇作家・演出家・青年団主宰。
こまばアゴラ劇場芸術総監督・城崎国際アートセンター芸術監督。大阪大学COデザインセンター特任教授、東京藝術大学COI研究推進機構特任教授、四国学院大学客員教授・学長特別補佐。1962年東京都生まれ。国際基督教大学(ICU)教養学部に入学。在学中に劇団「青年団」を結成し、戯曲と演出を担当。卒業後、こまばアゴラ劇場の経営者となる。日本各地の学校において対話劇を実践するなど、演劇の手法を取り入れた教育プログラムの開発にも力を注ぐ。2002年度から採用された国語教科書に掲載されている自身のワークショップの方法論は、多くの子どもたちが教室で演劇をつくるきっかけとなった

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