第2回 逗子開成中学校・高等学校

改革ではなく革命を起こせ!
一番の弊害となったのは本校の歴史だった

逗子開成中学校・高等学校 理事長・校長 高田勲 先生
聞き手:株式会社コアネット副社長 小嶋隆

1980年に起きた山岳部の遭難事故がきっかけで、存続の危機に陥った逗子開成学園。「このままでは学校がつぶれる」という危機感を、学校改革という前向きなパワーに変え、まさに革命と呼ぶにふさわしい驚くべきスピードで、大学進学率をアップさせるとともに、他校にはマネのできない特色のある教育を行なってきた。
約20年にわたり、改革の中心を担ってこられた髙田勲先生に、そのあゆみを語っていただいた。

「私学マネジメントレビュー」第9号(2003年9月発行)より転載

小嶋逗子開成中学校・高等学校は、最近10数年の間に、大学進学実績が驚くほど伸び、進学校へと変貌を遂げられました。同時に、海洋教育、映像教育など、他校にはない特色のある教育を行なっていらっしゃいます。
 現在のように独自の地位を確立されるまでの、大規模な改革内容の断片については折りに触れうかがってきましたが、本日は、その詳細や経緯について、おうかがいしたいと思います。
 まず、学校改革をスタートさせたきっかけについてお話しいただけますか。

危機感の深さが改革を成功させる鍵

高田理事長きっかけは、1980年に起きた、山の遭難事故だと思います。本校の山岳部の教員と生徒が冬山で遭難し、6名の尊い命が失われました。事故後も様々な問題が残り、それを解決するのに4年もの時間がかかりました。その当時の教員全員が「このままでは学校がつぶれる」と感じていました。
学校改革は、なんらかの危機感がなければスタートしないわけですが、私は、それがどのくらい深いものであるかが、改革が成功するかどうかの鍵だと思っています。本校の場合は生徒、同僚を遭難事故で失い、その後の問題をなんとか治めなけばという強い気持ちを各教員が持っていましたから、危機感はそうとうに大きなものでした。そういった意味では、本校は尊い6名の犠牲の上に、学校改革の第一歩を踏み出したと言えます。

小嶋遭難事故により全教員が抱いた「このままでは学校がつぶれる」という危機感を、どう学校改革に結びつけていかれたのでしょうか。

信長がブルドーザーに乗ってやってきた

高田理事長間違いなく全教員が危機感を持っていましたが、それを「学校を変えなければ」という前向きな気持ちに結びつけられたかと言えば、必ずしもそうではありませんでした。私も一教員として「なんとかしなければならない」という気持ちはあったものの、どうすればよいのか、どこに問題の根源があるのかについては、手探りの状態でした。
 遭難事故の問題は1983年に徳間康快(当時、徳間書店社長)が学園理事に就任したことにより解決し、84年、徳間が理事長に就任してから、本格的な改革がスタートしました。
 それは徹底的なもので、その姿を例えて「信長がブルドーザーに乗ってやってきた」と言われたものです。徳間はそれまで経済界で活躍してきましたし、マスコミ系の人間でしたから時代を先見する高い能力も持ち合わせていました。ですから、彼が中心となり、改革を進めていったわけです。

小嶋改革を進めるにあたり、弊害となるものはなかったのでしょうか。

改革の一番の弊害となったのは逗子開成の歴史だった

高田理事長一番の弊害となったのは本校の歴史でしょうか。改革をスタートさせたとき、本校は創立80周年を迎えていました。
 例えば、これから全く新しい学校をつくるのであれば、まず、新しい理念をつくり、それに沿って運営をすることができますので、理念と実際の行動の間にズレが生じにくいわけです。ところが、80年もの伝統がある学校の改革に対する抵抗は内部、外部双方からとても強いものでした。しかしその点、徳間は明確な理念を持っていました。
 徳間がまず立てた目標は「進学校にする」という明確なものでした。しかし、80年の伝統を持つ学校の目標が進学校化だけというのは、ある意味情けない目標です。そこで、進学校化とともに目標としたのが情操教育と、海のすぐそばであるという立地を活かした海洋教育です。この「進路指導」「情操教育」「海洋教育」の3つの柱を逗子開成の新しい理念として掲げ、改革をスタートさせました。

小嶋まず目標をはっきりと示し、現場サイドのモチベーションを高めて行ったわけですね。

改革のスピードアップをはかるため、ハードから先につくる

高田理事長そういうことですね。私は改革の重要な要素のひとつに「はっきりとした理念を掲げること」があると思います。「着手先行型」といいますか、身のまわりのものから処理していくやり方は、改革ではないと考えています。大きな理念がまずあり、それに引きずられるようにして、個々人が自ら行動したり、仲間をつくったりすること。これが改革だと思います。
 加えて、改革にはスピードが必要だと思っています。せっかく理念を掲げても、それを迅速に進めていかなければ意味がありません。
 三つの目標を掲げた後、本校では改革を「スピードアップ」させることに力を入れました。そのためにどうしたかといいますと、まず施設をつくってしまったのです。驚くほどのスピードで創立八十周年記念ホール(現徳間記念ホール)、海洋教育センター(ヨット工作室+80名が宿泊できる施設)が建設されました。記念ホールには、35ミリの映写機を入れました。
 建物(ハード)ができてしまえば、それを使用するための中身(ソフト)をつくらなければなりません。例えば記念ホールでは、ロードショー公開館で上映しているものと同じ映画をタイムリーに上映できるよう、映画会社と交渉し、実現しました。現在も年間12本の映画が上映されています。

小嶋改革をスピードアップさせるために、先にハードをつくり、ソフトをどうつくるかを教員に投げかけるという号令のかけ方があったのですね。それ以外にスピードアップの方法はありましたか。

「反対のための反対意見」は聞き入れない

高田理事長何に関しても決定を早く下すようにしたことでしょうか。例えば「大学受験対策のためにこういった方法が必要だ」という、新しい提案が出された場合、その提案について、どんどん決定していきました。まず大前提として、賛成か反対かを明確に言えないような提案は却下しましたし、提案に対する意見の中でも「反対のための反対意見」は聞き入れませんでした。そのようにして物事を進めていったわけです。

小嶋御校の学校改革のダイナミックさは改革というより、革命と呼べるでしょうね。

高田理事長そうですね。革命を起こすくらいの覚悟で挑まなければ、こんなに早く改革を進めることはできなかったでしょう。改革スタート時から現在まで、常に「革命」だったと思います。

小嶋改革を行なうためには周囲を巻き込む必要があると思いますが、どういった方法で、また、どのレベルまで巻き込んでいったのか、教えていただけますか。

高田理事長教員や保護者の方々にもっと積極的に改革に関わってもらうためには、学校の「オープン化」を進める必要があると思いました。それまでは閉じていた部分もありましたが、すべての情報を開示しました。まず理事会の内容を速やかに職員会議の場で全教員に報告する。保護者、生徒にも伝える。理事会、教員組織、保護者、生徒の間を情報が速やかに伝わるようにする。これができなければ改革はできないと思います。改革スタート以来、校長室も教職員、生徒に対し、常にオープンにしています。
 近年、他の私学でも情報の開示が話題となっていますが、これができているかどうかが、学校改革の一番の要だと思っています。

教材の共有化と授業の公開は教員が最もいやがる部分

小嶋御校は他校と比べて早い時期に授業公開を導入されました。教育面での情報開示は学校改革の中でも重要な役割を果たす部分だと思いますが、他校でも、授業の公開は特に難しいという話をよく耳にします。導入にあたり具体的にどのような方法をとられたのでしょうか。

高田理事長授業の公開は、教員が最もいやがる部分です。「生徒の邪魔になる」などと理由をつけて、授業を公開しまいとする教員が多くいました。しかし私は、教育のオープン化は学校改革の要だと思っていましたから、教員の反対を押し切って実行したのです。ただ、できるだけスムーズに導入できるよう、2つの段階を踏みました。
 第一段階として、まず教材の共有化に成功しました。優れた教員であれば「自分が一生懸命苦労して作った教材」をそれぞれ使用していますが、なかなかそれを公開しようとはしません。しかし本校では、コンピュータを導入した際、それらの教材をデータ化し、共有化することに成功したのです。自分が持っているものを他の教員に見せ、逆に他の教員の良い部分を取り入れる。コンピュータの導入をきっかけとして、まずそのような交流が促進されました。その後、第二段階として授業自体のオープン化に成功しました。
 現在では授業中に他の教員が教室に入ってくることが当たり前になっています。

小嶋地域に対する「オープン化」に関してはいかがですか。御校の場合、学校の周りを取り囲む塀を取り払ってしまったという話はあまりにも有名ですが。

高田理事長塀を取り払ったのは、「隠すものなど何もない。どこからでも見て下さい」という意思表示でした。当時としては相当な決意がいることで、教員の間には「塀を無くせば泥棒が入るのではないか」との意見も多く出ました。しかし、実際に塀を無くしてみると「さっぱりした」「泥棒が入らなくなった」との意見が多く、反発は消えてなくなりました。塀が無くなったことにより、教員の防犯意識が高まり、かえってよかったと思います。また、塀があった頃は、外から見えない部分はゴミだらけでした。しかし塀を取り払うと、外から校内すべてを見渡すことができるようになったため、「きれいにしなければ」という意識が生まれました。
 造園も私が指揮をとって整備するなど、環境整備につとめました。今では男子校とは思えないほどきれいな学校になりましたが、こうなるまでにはやはり10数年かかりましたね。

小嶋防犯意識の高まりや環境の改善も、塀を取り払ったことによる大きな効果なのでしょうが、周辺住民の御校を見る目が随分変わったことも効果と言えるのではないでしょうか。

高田理事長もちろんそうです。塀を取り払い、街灯を追加したことにより、今まで「学校の裏手」といった雰囲気のあった暗い道が明るくなりました。夜間に女性がひとりで歩いても安全な道になったのです。また、塀がなくなったことにより、周辺の方が校地を通るようになりました。遊歩道も設けてありますので、休日には多くの方が散歩を楽しんでいます。

学校を地域に対して開き、良い環境を提供する

小嶋学校を地域に対して開き、周辺にも良い環境を提供することにより、学校に対する印象も良くなり、保護者の信頼に加え、地域の方々の信頼も得たわけですね。地域の方々を巻き込むということは、それによるクチコミ効果も期待できるのでしょうか。

高田理事長はい。これまでの私学の一般的な考え方は「地域におもねらず、自分達で作り上げた学校」といったものだったでしょう。しかし本校は、徳間記念ホールや海洋教育センターなどの施設を地域の方々に積極的に貸し出すようにしています。逗子市には文化会館が無いため、市の様々な催しが、記念ホールで何年にもわたって行なわれています。また、地域の方々は登録すれば、記念ホールで年間12本上映される映画を見ることができます。
 他にも本校の吹奏楽部が街のイベントに参加するなど、地域とのさまざまな交流が行なわれています。先日の100周年のイベントでは、市内のメインストリートに、本校の100周年を祝う800基もの提灯が地域の方々によって飾られました。あれは本当にうれしかったですね。

小嶋学校改革はまず、明確な理念を掲げること、次に、それを迅速に進めること。そして、それらの活動を教員のみならず、保護者や地域にもオープンにすること。この3つが重要だということですね。
 次に、改革の具体的な内容について、もう少し詳しく教えていただけますか。
 御校を進学校化するために、まず何から始められたのでしょうか。

進学校にするため、クラブの考え方を変えた

高田理事長ず、クラブ改革を行ないました。その頃の逗子開成は特に運動部が強く、関東大会、全国大会にも多く出場していました。ですから、当時はクラブ活動を毎日行なっていたわけですが、私は、勉強とスポーツを両立させるため、クラブ活動は週3日とすることを決めました。
 これには生徒、教員の双方から、とても強い抵抗がありました。進学校になる前に「スポーツが強い」という学校の特色がなくなるわけですから、このクラブの改革は、教員たちにとってもある意味驚異だったことでしょう。しかし私は、グラウンド、体育館、プールなどの学校の施設はクラブ活動のためだけにあるのではないと思い、昼休み、放課後に学校内の体育施設をすべて解放し、全生徒が使えるようにしました。
 本校の体育的な特色として、ヨットと遠泳がありますが、これは全生徒の参加が基本となっています。本校卒業生から「逗子開成のスポーツは弱くなった」との声も聞こえてきますが、生徒全員の体力、運動量という観点から見れば、その平均値はかなり高いと自負しています。
 学習指導面においては、現在は行なわれていますが、長年、選抜クラスは設けない方針でやってきました。一部の生徒だけを上位校に合格させて進学率を上げるのではなく、全員に上位校を目指して欲しかったからです。
 大学進学を目指したカリキュラムの確立、指導法の研究なども継続的に行なっていましたが、本校の教員が独自に開発した、コンピュータを使用した英語教育プログラムは、生徒の学力アップに直接つながったものです。

小嶋入試制度に関しても大胆な改革を行なっていらっしゃいますね。高校受験についてですが、受験生の内申書審査を撤廃されたのも、御校が神奈川県では一番だったと記憶していますが。

受験生や保護者のニーズにこたえる

高田理事長あれも相当思いきった決断でした。
 例えば中学2年生までスポーツに真剣に取り組んで来て、中学3年生になってから受験勉強を始め、3学期には追いついたとしても、内申書は1学期からの総合評価となるわけです。内申書審査を撤廃することにより、そういう子が試験1本で勝負できる。これは理にかなったことだと思います。受験生からは多くの支持を得ました。

小嶋内申書審査の撤廃は、やはり「生徒にとって、どのような学校が受けやすい学校か」を常に考えてこられた結果だと思います。「受験生や保護者のニーズに応える」という姿勢のあらわれでしょうね。次に「情操教育」の中身についておうかがいしたいのですが。

高田理事長情操教育の一つとして「芸術の日」が挙げられるでしょう。かつての芸術の時間には、他の教科と同様に、知識を求めるテストが行なわれていました。私は芸術とは知識を問うものではないと思い、「芸術の日」をつくりました。芸術の日には、生徒たちは一日中芸術に取組みます。これは世界的レベルで見ればあたりまえのことで、日本の教育がゆがめられたのです。この「芸術の日」の制定は周囲に反響を呼びました。私は芸術の根本は抽象だと思っていますし、それが本校の芸術のテーマとなっています。これが情操教育の改革としては大きなものだと思っています。
 また、挨拶も、情操教育のひとつとして挙げられるでしょう。改革スタート時には、地域の逗子開成への評判はあまり良いものではありませんでした。いたずらなどをして、周辺の方々には大変ご迷惑をおかけしていたと思います。そこで、まず学校を明るくしようと思い、そのためには挨拶が出来なければダメだ、という結論に達しました。まず教員が、教員同士で、また、生徒に対して、挨拶することを意識的に行ないました。すると、生徒たちも次第に変わっていき、今では生徒全員が来客や、教員に挨拶をするようになっています。

小嶋三本の柱のひとつ「海洋教育」も、御校独特のものですね。

高田理事長本校で現在も行なっているヨットの演習と遠泳も、たえず危険と隣り合わせです。安全管理やそれにともなう教育にはお金も時間もかかりますし、本校には過去にヨットの事故、山岳部の遭難という二つの苦い経験がありますので、それらの活動を止めようと考えるのが普通でしょう。しかし、敢えてやることにしています。
 やはりこのような経験を通して、生徒は肉体的にも精神的にも鍛えられていくのだと思っています。

小嶋御校では今後もさまざまな改革を行なわれるでしょうが、先生方のモチベーションを上げるため、具体的には何をされていますか。

高田理事長教員のモチベーションを高く保つため、私は教員一人ひとりと、定期的に面接を行なっています。「自分は学校に雇われている」と感じている教員は、授業、クラブ、学年の仕事だけが自分の仕事の範囲で、それをこなせばよい、という認識を持っています。しかし私が各教員に求めるものは、「自分が学校の経営者だ」という意識です。私学の教員の仕事の一番おもしろい部分は、「自分の学校において、自分で提案し、実現できること」だと思います。これは公立校ではなかなかできないことですから、私学の教員には、それを誇りに思って欲しいのです。本校の教員には、役職など関係なく、良い提案があったらすぐに取り入れ、明日にでも実行に移すと話しています。
 また、常に学校改革の原点に立ち戻るため、幹部教員を山の遭難現場につれていき、本校が生徒と仲間の尊い命を失ったというかけがえのない経験を忘れないようにしています。

小嶋教員と常にコミュニケーションをとっていくことが大切なのですね。それは事務部門に対しても同じでしょうか。

事務長は学校における「官房長官」である

高田理事長本校の事務長は、三代連続で教員がつとめています。本校では「事務長は官房長官だ」と言っていますが、事務長は常に改革の先頭に立つために、見識があり、学校内部についても十分に把握していることが大切だと考えています。情報はすべて事務室に入るので、校長とたえず連絡をとることも必要となります。

小嶋本日お話をうかがって改めて、逗子開成の改革のすごさを実感しました。今年も70~80校が首都圏で定員割れをしていますし、今後の公立の動きによっては、私学が置かれる状況はさらに厳しくなってくるでしょう。ここまでのお話の中にも改革のヒントがたくさん隠されていますが、現在改革が遅れている学校、また、改革を試みているものの動きの遅い学校に対して、さらなる助言があればいただきたいのですが。

「形式化」は改革をストップさせる要因となる

高田理事長いろいろな学校改革の内容についてお話ししましたが、そのすべてに共通し、改革を行なう際に最も留意しなければならない点は「形式に陥らないこと」だと思います。学校という組織の中では何事もすぐに形式化されてしまいます。私が教員全員の面接を導入したのも、形式化を防ぐためです。もともとは年度のはじめに「今年一年何をするか」という年間計画書を教員一人ひとりに提出させていました。はじめの一年はどの計画書にもなかなかおもしろいことが書いてありましたが、二年目から突然つまらない内容になってしまいました。計画書を提出すること自体が形式化されてしまったのです。そこで、各教員との面接に切り替えました。形式化すると何事も、今の状況から前に進まなくなってしまいますから。

逗子開成のさらなる飛躍に向けて

小嶋なるほど。たしかに形式化は改革をストップさせる大きな要因です。スピード感を持って改革を進めてこられた御校らしい視点ですね。
 では最後に、現在考えていらっしゃる新たな施策について、お話しいただけますか。

高田理事長本校は今年から高校の募集を停止し、完全中高一貫校となりました。じっくり腰を据え、良い教育をしていきたいと思います。現在の私学にとって、公立の存在はもちろん驚異です。公立に勝つためには、大学進学率を高めるだけではない、別の視点が必要になると思います。
 私は本校を単なる進学校にはしたくないと思っています。いつの時代にも、教育に求められるものがあるはずです。それは時代とともに変化していきますから、常に追い求めるとともに、自分達でつくっていかなければならないと思います。例えば私は現在、国内だけで物事は完結しないということを痛感しています。保護者の方々もその事実には充分気がついているのですが、次にどうすれば良いのかという明確なイメージがまだ無い状態なので、とりあえず受験の際には偏差値の高い学校を選んでいるわけです。
 私が現在考えているのは、「本当に人間が生きていくための力をつける教育」です。例えば海外で学ぶことに関しても、3週間程度の研修ではなく、少なくとも一年間は勉強してくることが必要だと思います。今年は本校からアメリカのポートランドへ六人を留学させました。私は、本校の生徒たちにはどんどん海外で活躍してほしいと願っているのですが、保護者の方々には日本の社会に根づかせたいという気持ちが強く、そのギャップに多少とまどっています。

小嶋しかし、これからの保護者の意識は変わってくると思います。それとともに、御校もさらなる変化をしていかれるのでしょうね。

高田理事長改革をスタートさせてから今に至るまで、20年近い歳月を要しました。学校のレベルを見るには、いろいろな尺度があると思いますが、学校の美化、地域との関係など、総合的な尺度でここ10年の伸びを見るならば、本校はまちがいなくトップだと思います。長かったとは思いますが、私も、他の教員たちも楽しんで改革を進めてこられたと思っています。
 100周年というひとつの区切りを迎え、これから私が思い描くのは、一人ひとりが学校の運営に関わり、それが全体の力となることです。本校の教員にはそれが可能であると信じています。

小嶋長時間にわたり貴重なお話をうかがい、ありがとうございました。これからの逗子開成のさらなる飛躍を楽しみにしています。