小嶋 鷗友学園女子中学校・高等学校は近年急速な改革を進めてこられました。本日はその具体的内容とプロセスについて、また、改革を行なう際、重視されたポイントなどを中心に、お話しいただければと思っています。
まずは、改革スタートの頃からお話しいただけますか。
清水校長 危機感を持ちはじめたのは1980年代に入ってからです。まだ少子化時代は本格的には始まっていませんでしたが、数年のうちに訪れることはわかっていました。その少子化前夜と呼べる経験は丙午生まれの学年でした。極端に女子が少なく、他の学年とは異なるタイプの生徒も入学してきました。彼女たちと関わる中で、「少子化時代になればこのような状況が生まれてくる」ということが大体予想できたのです。端的に言えば生活態度の荒れです。「鴎友はこのままでいいのだろうか」と不安に感じ、何かしなければ、と思い始めました。
小嶋 少子化時代が訪れた時、当時のままの鴎友であれば、同じような状況が繰り返し起こることが予想できたわけですね。では、その危機感をどのようにして行動に移していかれたのでしょうか。
清水校長 先に述べました「前夜」の段階では、「このままではまずい」「何かしなければならない」と思ってはいたものの「自分ひとりでなんとかしようとしても無理だ」と決めつけ、焦るばかりでした。
そのような悶々とした日々を送っていた頃、ある私学の先生とお話する機会がありました。鴎友の現状についてお話したところ、その先生が「清水さん、二八(にっぱち)だよ」とおっしゃいました。10人のうち、2人が動けば物事は進んでいくという意味です。つまり、「他の人がやらないのなら、あなたがやればいい」と言ってくださったのです。その言葉をいただいて、胸のつかえがとれたようにすっきりし、「誰になにを言われようとも自分はやる」と決意を固めました。それから少しずつ賛同者をふやしながら、改革を進めていきました。あまりかかわらない教員もいましたが、それ以来、気にならなくなりましたね。
もちろん私は一部の教員だけで改革を行なったとは思っていません。これまでにない新しい試みをしようとすれば、それにともなうデメリットやリスクは必ず生じますので、それを指摘してくれる人達は必要です。また、誰かが突っ走ると、その後に処理しなければならない問題が残ってしまいます。それをきちんと整理してくれる存在も必要です。
ですから、改革をスタートさせてからずっと、私は「わいがや主義」という言葉をいつも念頭に置いてきました。文字通りみんなで集まって「わいわいがやがや」やりながら改革を進めていくという考え方です。いろいろな人の存在、意見を受け入れながら、楽な気持ちで改革に取り組むこと。これが長期的な改革を進める上で重要な点ではないでしょうか。反対意見を取り込みながらも、ひとつの方向に進んで行くことで、個々人の意識も随分と変わってきました。
学校改革には、自己改革が必要だと強く感じましたね。
清水校長 学園創立当初は校長のカリスマ性が学園の求心力になっていました。しかし、改革スタート当時は必ずしもそればかりを期待できない状況でした。
そこで、学校改革の求心力にしたのは「理念の現在化」でした。「鴎友学園の理念はこうだろ。だったらこうするんじゃないか」というように、何をするにしても必ず学園の理念に立ち返って判断していきました。
小嶋 「まず理念を固め、それにもとづいて設定した目標を実行に移す」という基本方針をつくり、その方針を教職員にも浸透させたということでしょうか。
清水校長 そうです。まず大学合格実績を出すというのも生き残るためのひとつの道だったかもしれません。しかし私達は、それが鴎友の求める本当の学校の姿だろうか、と疑問に感じていました。「これからどのように生きていくのかを考える人生の大切な時期に、ともかく勉強さえできて、大学に合格すれば良いという、ニーズの一部だけを取り込んだ学校で、本当の教育ができていると言えるのだろうか。それは、鴎友学園の校風にふさわしいのだろうか。」と、常に考えていました。
鴎友らしい教育を模索した結果、私達が行き着いた結論は「中身を育てる教育をする」ことでした。
それは鴎友の理念である「慈愛」「誠実」「創造」を生徒自身のものとしてもらうことです。そのために教員は、生徒が自分自身と対話し、自由に発想することを助け、生徒のどんな発言もまず肯定してあげなければなりません。自由と肯定があってはじめて、創造が生まれるのです。独自のホームルーム活動を行なってきたのもその一環です。
最近、私学の間でも「公立の私学化」がよく話題となります。公立校がそれぞれの個性を伸ばし、これまでよりも私学に近い存在になっていくことは確かです。しかし私は、公立が私学を目指しても決して私学にはなれないと思っています。私学には「理念」があるからです。私学は創立者の理念にもとづいて教育を行なっています。その部分は公立は追いつけない部分だと確信しています。
私学が創立される時、そこには「このままでは教育がダメになる。今の社会状況において、私ならこういう教育を行なう。」といった創立者の強い思いがあり、それが理念として今に伝えられているはずです。
その創立者の思い(=理念)を現代社会においてとらえなおし、社会の要求に応えていくこと。これが「理念の現在化」だと思います。
教員一人ひとりもそこにもっと目を向けて、カリキュラム、入試、ホームルーム、PTA活動など、すべてにおいて「今、理念を読み解くとしたらどう再解釈すべきか」について、常に考える必要があると思います。常に理念について考えていれば、迷った時、判断材料になりますから、そんなにうろたえることがないでしょう。それは広報活動や入試に関しても全く同じで、教育活動・広報活動・入試の三つの活動が理念にもとづいて行なわれるのが理想だと考えています。
小嶋 なるほど。今のお話から、鴎友の理念が改革の強い軸となっていることが伝わってきました。今おっしゃった「理念に立ち返る」ことを教員一人ひとりに実践させるために、具体的にどのようなことをされたのでしょうか。
清水校長 とにかく、何度も何度も理念に対する思いを伝えました。そうやって、何度も理念にもとづいて行動することにより、反対のための反対意見から、積極的な意見が多く出るようになってきました。
小嶋 学校改革をスタートさせた当初、改革成功に向けてどのような目標設定をされていましたか。また、「学校改革が実を結んだ」と実感できた時、改革がスタートしてから何年経過していましたか。
清水校長 86年に伊藤進が校長となり、鴎友の大改革がはじまりました。教育内容はもちろん、校舎、制服も含めた大掛りなものでした。
学校改革をスタートさせた当初は、10年後の96年を目標としていました。
当時の鴎友は、教員会議等で「10年間で学校改革を行なう」などと宣言できる状況ではありませんでしたので、自分の中でそう決めていました。ただ、途中2年ほど停滞期があったので、10年よりも少し長くかかりました。
改革をスタートさせて10年が過ぎたころ、「鴎友が変わってきた」という話が周囲から聞こえてくるようになりました。
98年、ベネッセが「生徒の社会性・独自性がどれだけ伸びているか」の実験調査を実施しました。この調査は、学校単位で生徒を対象としたアンケートを実施し、学年ごとの平均を、社会性と独自性の二つの要素に分けてベクトルで表したものです。結果が図の左下から右上がりになっていれば、生徒の社会性・独自性が伸びていることになります。
結果、参加した中高一貫校十数校の中で、右上がりのベクトルをはっきりと示していたのは鴎友だけでした。その結果を見て吉野明(当時の進路指導部長)と「よし、これで行こう!」と言いあったのです。それまでは、自分達の改革が本当に効果を上げているのか、不安で仕方ありませんでした。しかしこの結果を見て、学園の理念「慈愛」「誠実」「創造」を中心とした教育が実を結んでいることが実感できたのです。その時は本当にうれしかったのを覚えています。
その翌年(99年)には、大学合格実績が飛躍的に伸びました。
生徒の学力が伸び、同時に内面も育っていることが実感でき、2000年になってやっと学校改革の成果に自信を持つことができました。改革スタートから14年の歳月が経過していました。
清水校長 中身の教育を行なっていく中で一番心強かったのは、学校説明会で「中身」の話をしたときに、保護者の反応が良かったことです。お母さん達は「中身」の話を聞き、「総合的に子ども達のことを考えてくれる」と感じてくださったのでしょう。それが志願者数の増加につながり、結果的に学園のレベルアップにもつながってきたと思います。
小嶋 まさに良循環ですね。ここまで改革の成果が見えはじめると、学内の先生方の改革に対する理解もずいぶんと深まってきたのではないでしょうか。
清水校長 そうですね。98年頃になると、学内の教員のほとんどが、この方向でいいと思うようになったと思います。
いろいろなことを言う教員はいましたが、改革をより良いものにするための意見だったと思います。
小嶋 先程、広報活動も理念にもとづき行なわれているとおっしゃいましたが、もう少し具体的にお話しいただけますか。改革がスタートした頃は、どういった広報活動をされていたのでしょうか。
清水校長80年代の半ば、広報についてはどうすれば良いのか、全くわかりませんでした。でも行動するしかないと思い、伊藤進と2人で周辺の小学校を自転車でかたっぱしから訪問しました。
小嶋 鴎友という学校を認知してもらうために、地場からスタートされたわけですね。
清水校長 私達としてはそういうつもりでした。しかし、全く効果はありませんでしたね(笑)。公立小学校の校長先生は、自校の生徒の進学先についてまったく関心がありませんでしたから。小学校をまわっても意味がないことを実感し、その活動は最初の1年でやめました。
広報活動において次に目標としたのは、鴎友を広く一般に知ってもらえるよう、情報を発信することでした。伊藤進が校長になり、それまで年間200万円だった広報の予算を800万円に増やしました。それでも少なかったので、その翌年には2000万円に増やし、いろいろな雑誌に学校の情報を掲載してもらったのです。高い広報予算に関しては内部の反発もありましたが、やはり何年か活動を続けなければ鴎友の認知度を高めることはできないと思い、90年代は2000~3000万円の予算で活動しました。
広報活動を行なう際、特に気をつけていたのは「ありのままを、今鴎友がやっていることを伝える」という点です。「知らないもの、信用できないものは買いやしない」というのが当時の合言葉でしたね。
小嶋 一般に、私学の活動は内部の先生方が思っていらっしゃるほどは外部に伝わっていません。学校としてのアイデンティティの確立と、それを広く外部に伝えること。そのどちらが欠けても広報活動はうまくいかないと思います。
清水校長 改革においてもうひとつ重要なのは、教員どうしの情報開示だと思います。議論する際、お互いに情報を隠し持っていては議論にならないので、全員が同じ情報を共有し、その中で議論するしかありません。改革をスタートさせてからは、授業公開から経理、給与にいたるまで、ほとんど全てに関して情報開示を行なっていましたね。私が今年の入学式で話した式辞も、校内のLAN上に載せ、教員の誰もが見られるようにしています。正直、情報を開示するのがこわい時もありますが、改革においてはそれが必要不可欠なのです。
小嶋 今、校内LANのお話が出ましたが、鴎友のホームページ上にも在校生、卒業生、保護者だけが見られるサイトがありますよね。幅広いテーマについて活発な議論がされていると聞きました。それも情報開示のひとつだと思います。
それについてもう少し詳しくお話しいただけますか。
清水校長 鴎友学園のホームページ上に、「在校生、卒業生のページ」があります。このサイトはパスワード(鴎友では「呪文」と呼んでいます)を入力しなければ見ることができません。パスワードは教員、在校生、卒業生、保護者が知っていて、そのサイトに自分の書き込みを残すことができます。
全員匿名で書き込みをすること、個人的な中傷はしないことが最低限のルールです。ある一つの話題についても、年代や立場の違う個人がさまざまな角度から意見を戦わせることができるので、良い議論の場となっています。
小嶋 このような場を用意されたきっかけはなんでしょうか。また、具体的にどのような議論がなされているのでしょうか。
清水校長 鴎友のホームページを立ち上げる際、自由に書き込める掲示板のようなサイトもつくろうということになりました。
最も大切なのは、私達が扱っているのは思春期の子ども達であるということです。先にも話しましたが、思春期とはこれからどのように生きていくのかを考える人生の大切な時期です。「自分はなぜ生まれてきたのだろう」と考える生徒もいますし、「なぜ自殺してはいけないのだろう」と悩む生徒もいます。そういう生徒達に対してどう対処すれば良いのかという課題は、私達教員の目の前に常につきつけられています。もちろん教員はそこから逃げてはなりませんが、生徒達にとっては、教員以外の人達から意見をもらうことも大切な経験ではないかと思っています。
一例をあげますと、先日掲示板に「なぜ自殺してはいけないの」と書き込みをした生徒がいました。すると、それに対して在校生、卒業生、保護者から多くの書き込みがされたのです。「自殺してはいけない」という意見だけではなく、「私もそう思ったことがある」など、いろいろな角度からの意見がありました。そのサイトがある意味教員の役割を果たしてくれているわけです。この生徒は、ともに考えてくれる人達が自分のそばにいることを感じたと思います。
私はこのサイトにより、インターネットの有効な活用ができていると思っていますし、こういったオープンな意見交換の場を設けることの意味は大きいと考えています。
小嶋 いまおっしゃった効果に加え、このサイトでの世代を超えた交流の中で「鴎友らしさ」が育っているのではないかと思います。
また、このサイトは学校と保護者・卒業生間の関係を構築する上でも重要な役割を果たしていると思います。生徒達は鴎友を卒業した後も、ホームページを通していつでも鴎友に関わることができます。これは「しかけ」としてもすごくいいと思いますし、長いスパンで見れば、広報の役割も果たしているのではないでしょうか。他の学校ではなかなか行なわれていない試みですね。
清水校長 書き込みは常に匿名なので、私達からは卒業生・保護者の誰が書き込みをしているかまではわからないわけです。しかし、書き込みをしてくれる人達の中に、「鴎友」が存在していることだけは確かです。自分自身が、もしくは自分の娘が卒業しても、常に「鴎友」が存在している。だからこそ、母校のサイトを見るわけです。このサイトにより、鴎友と、卒業生・保護者の間によい関係が築けているのかもしれませんね。
私達は、生徒達と実際には6年間しか関わることができません。植物に例えれば、卒業が、種をつくって送り出しているくらいの段階ですので、本来ならばその種が成長し、実際にどういう花を咲かせるか、見届ける責任があると思っています。
卒業生一人ひとりに手紙を書くことは難しいですが、このサイトがあれば、卒業して20年30年経っても書き込みをすることができますし、少なくとも現在の学校の状況を見ることができます。そういった意味では「在校生・卒業生のページ」は「しかけ」としてもうまく機能しているのかもしれませんね。
小嶋 改革のスタートから現在の成功まで、いろいろなお話をしていただき、ありがとうございました。ここまでのお話の中にも改革のヒントがたくさん隠れていますが、現在改革を始めようとしている学校、また、改革を試みているもののなかなかうまくいかない学校に対して、さらなる助言があればいただきたいのですが。
清水校長 校長や理事など、いわゆる学校運営に関わる幹部以外の先生でも、自校が置かれている状況に危機感をお持ちの方は大勢いらっしゃると思います。自校の運営があまり順調でないと感じたとき、一教員として、それを自分の問題だと考えられるか、それとも運営は学校幹部が行なうものだと割り切ってしまうか。私はそこが、その学校が変われるかどうかの鍵だと思っています。
先にも話しましたが、学校改革は自己改革です。これは生き方の問題でもあります。「ここで働く」という役割を与えられた時、難問に対して「逃げる」のか、「問題に立ち向かう」のか、各自がどちらを選択するかです。
まずは教員一人ひとりが学校の危機を自分の危機ととらえられる。そのような環境をつくることが大切です。
また、私自身は改革に「おれがやったんだ」とか、「おれのアイディアだ」という人(「おれがさん」)は必要ないと思っています。なぜなら、改革が成功する時、それは決して一人の力によるものではないからです。
それから、改革の結果を焦ってはいけません。改革をスタートさせても、それが形になるまでにはある程度の時間を必要とします。10年もしくはそれ以上の長い時間をかけてやるつもりで、じっくりと腰を据えなければなりません。
小嶋 やはり学校改革においては、教員の意識をどう変えるかが一番重要な問題となっているということですね。鴎友では、教員のモチベーションを高めるために、具体的に何をされていますか。
清水校長 特に表彰制度などは設けていませんが、私がこの4月に校長になってから、「教職員全員と面談をする」と宣言し、すでに始めています。面談で心がけていることは、
などです。
この面談により、教員のモチベーションが上がり、一人ひとりのさらなる能力が引き出されることを期待しています。
小嶋 事務職員の方にも同じことをされているんでしょうか。
清水校長 さきほど申し上げた「情報開示」については、事務職員にも同じように行なっています。
今、私は教員組織と事務組織の連携に真剣に取り組んでいます。教員と事務職員が学校の両輪となり、ともに生徒を支えていくことが目標です。
小嶋 他校を見ても、教員組織と事務組織の関係がうまくいっていない学校は、学校組織全体がうまくいっていない学校が多いです。お互いに足をひっぱらず、補い合う関係が理想的ですね。
清水校長 将来的には、教員がもっと本来の業務に集中できるように、学校の組織を変えていきたいと思っています。校長就任式の時に教員と生徒に伝えたのは「変容すれども変化せず」ということばです。見た目が変わっても大事な部分は変化しないという意味です。鴎友も「理念」を変化しない部分として根底に持ちつつ、新しい時代に必要とされる学校であり続けるために、さらなる変容をしていきたいと思っています。