第19回 浅野中学校・高等学校

  • 「社会人を育てる」のが学校の使命
    「社会の中の学校」という視点に立てば、おのずと必要な教育が見えてくる
    浅野中学校・高等学校 校長 淡路 雅夫 先生
    聞き手:株式会社コアネット副社長 小嶋 隆
    「私学マネジメントレビュー」第26号(2008年12月発行)より転載
    1920年(大正9)年に実業家・浅野總一郎によって創立され、現在では全国でも有数の進学校として有名な浅野中学校。「銅像山」という豊かな森林が校地内にある恵まれた環境の中で、のびのびと生徒を育てていく姿勢は他校からも注目を集めている。長年にわたって受験生を魅了し続ける理由はどこにあるのか、淡路雅夫校長にお話をうかがった。

    大切なのはそこに関わる人、開校当初から優秀な教員を採用

    小嶋貴校は毎年2000人以上の応募者を集める人気校ですが、やはり設立時から順風満帆というわけではなかったと思うんですね。大正九年の設立当初はどのような学校だったのか、その後どういう経緯をたどって今のような学校になったのか、マネジメントという視点からお話を聞かせてください。

    淡路校長本校の創立者は、浅野セメント(現太平洋セメント)や、浅野造船所(現JFEエンジニアリング)などの設立者でもある浅野總一郎です。彼は自分がいろいろな起業体験をした結果、大事なことは事業そのものよりもそこに関わる人だという結論に達しました。ですから開校当初から教員の採用について優秀な人材の確保に重きを置いてきました。
    私自身も中学、高校と本校で学びましたが、現在校長として学校を預かって改めて、私が在学中の先生達はすごかったなと感じています。
    小嶋それは先生方のモチベーションが高かったということですか。

    淡路校長当時どのように教員採用を行っていたか詳しくは知りませんが、いわゆる学歴のあるなしに関係なく、生徒を育てるスタッフはこの人ならということで集めてきたようです。初代校長の水崎基一先生は、同志社大学の経済学部教授で、新島襄先生のお弟子さんですし、他の先生方も個性的で実力のある指導者ばかりでした。創立当初は総合中学といいましたが、中高であるにも関わらず、大学の先生を引き抜いてきたりということもしていました。ですから新卒の教員というのは私が入る前まではほとんどいなかったんですよ。

    小嶋ほとんど中途採用でやる気のある優秀な先生を集めていたということですね。

    淡路校長そうです。公立でバリバリにやっていた先生とかね。そういう人たちを集めることができたということ自体もすごいと思いますが、私はこれが学校づくりの基本だろうと思います。そういう意味で、今私が7代目の校長としてこの学校を預かっていて一番気にするところは、やはり教員の質です。
    優秀な教員の特徴は何かというならば、知的センスは当然ですが、人間性が優れているということだと思います。そういう先生の授業は気付かせられることや考えさせられることが多く、厳しいけれども温かい。人との関わりが非常に上手で、時に叱り、支えることが出来る人だからです。採用の際にはそういったポイントも重視しています。

    創立時から変わらない精神、浅野の教育は「社会人づくり」

    小嶋お話をうかがっていると、そのこだわりが他校と比較して強いように思います。なぜそこまで先生の質にこだわるのでしょうか。

    淡路校長それは、本校が「社会に貢献できる人材を世に送り出したい」という創立者の想いから始まったからだと思います。本校の建学の精神、校訓は「九転十起」「愛と和」ですが、これも中高生の間だけでなく、社会に出てから必要とされる人間性です。このような人間性を育むことを、私達は「社会人づくり」という言葉で表現しています。本校を卒業し、大学を卒業して社会に出た時に、組織の一員として自分の能力を発揮できるような力、コミュニケーション力などを重視しています。本校を卒業した生徒がどう社会に組み込んでもらえるか、本校が優れた人物を大学に送り出し社会に受け入れられた時に初めて浅野の価値が生まれるのだと考えています。
    そういった力を生徒達に身につけさせるためには、まず教員が人間的に素晴らしい人物でなければならない。だからこそ、教員の質にこだわってきたのだと思います。

    小嶋建学の精神というと、学校によっては百年以上前のものだったりするわけですが、時代の背景を踏まえてそのときの言葉に置き換えてどう展開していくのかが課題だと思いますし、それができている学校というのは改革能力がある学校じゃないかと私は思うんです。
    建学の精神自体はいいものでもそれに縛られてしまって、現在化できない学校もあるような気がします。貴校の場合は80年を超える歴史がありますが、「九転十起」「愛と和」という建学の精神を「社会人づくり」という言葉でうまく現在につないでいるんでしょうね。

    淡路校長「社会人づくり」という表現ではなかったかもしれませんが、その精神は創立時も現在も同じです。創立者浅野總一郎は常に社会に目を向けている人だったと聞いています。普通企業家だったら自分に目を向けていかに儲けるかでしょう。彼にはそれが無かったそうなんです。儲けることはするけれどもその儲けたものは社会に還元する。彼が手がけた事業にはたとえば、造船、セメント、燃料、鉄道などがありますが、それらは全て社会的事業で、彼の起業の眼は、まず社会には何が必要かというところから始まっています。言い換えれば、社会の中で總一郎自身が活かされたというふうに私は認識しているんです。その精神は現在の生徒たちにも伝えていきたいと思っています。
    高校1年生の総合的学習で進路(生き方)について考えさせる授業があり、それを私が受け持っているんですが、その時によく生徒たちに「俺に向いている仕事ってないですか」と聞かれます。そういう時私はすかさず「そうじゃないよ。向いている仕事という考え方は、ある意味傲慢であって、自分に向いている仕事などそうあるわけがない」と答えます。自分に向いている仕事を探すのではなくて、自分がどれだけの能力とエネルギーを培って、それをどうやって社会で使ってもらおうかという姿勢が出来たときに「キミの力を貸してくれよ」となるんじゃないかと。そして、そのやりとりの中で自然と生まれるコミュニケーションやつながりが人脈になるんだよということを折にふれて考えさせています。ただ、多くの生徒はまだまだ「自分に向いている仕事」という意識が強いですね。これを六年間のうちに指導して卒業させてやらなくてはいけないなといつも思っています。
    高校1年生の総合的学習では生徒達に「エントリーシート(就職活動の際企業に提出する自己PR)」も書かせます。中高時代に自分が頑張ったことを振り返ってもらうのです。自己推薦できる能力を気付かせるためですよ。高一の時点でそれが見つからない生徒も、その時点で気が付けばあと2年残っていますから。残りの2年間、自分で自信をつけ、自分らしさを培う時間が持てると思うのです。
    浅野の六年間の指導の結果だと思うのですが、本校の生徒達は大学を卒業して社会に出る時、不況であっても就職先にさほど困らないようです。入社して力を発揮しているという卒業生からのニュースは日常的に入ってきますね。これは本校が、浅野らしい生徒を育てて、生徒が人まねでない自分らしさというものを構築しながら六年間を過ごして卒業して行ったからだと自負しているんです。

    小嶋今「浅野らしい生徒」というお話が出てきましたが、淡路先生にとっての「浅野らしい生徒」とはどんなものでしょうか。

    周囲に気遣いのできる「気が付く男」を育てたい

    淡路校長周りへの気遣いができる生徒、端的に言えば「気が付く男」だと思います。ひとつエピソードをお話ししましょう。今年2月の入試は朝から雪が降っていて、路面が滑りやすくなっていました。中2の生徒達が道案内に立っていたのですが、そのうちの一人が私に「先生、受験生に何か声をかけたいけど『(足元が)すべらないようにしてくださいね』とは言えないですよね。なんと言ったらいいでしょうか」と聞いてきました。私は「きみ、よく気が付いたね。たしかに『すべる』という言葉は使えないよね。じゃあ『足元に気をつけて』と言ったらどうだろう」と返したところ、生徒は納得して去っていきました。私はその生徒を見て、こういった気配りができる生徒こそが本校の生徒だし、こういった「気が付く男」を育てることこそが本校の教育だ、と再認識しました。周囲の人や事柄に気が付いていくことで、組織や社会とのつながりを持つことができますよね。言い換えれば、無関心からは何も生まれないということです。それは教員に対しても言えるでしょう。生徒たちが社会に出たときに受け入れられる人になるように、同時に先生方も社会人としての自覚を持って生徒に関わることが必要です。

    保護者からは学費をもらう、生徒からは感謝をもらえるように

    淡路校長私達は生徒達の人生のうち、たった六年間しか預かれないんです。この六年間でどれだけのことがしてあげられるか、おのずと真剣になりますよね。私は先生方に「私たちの生活は保護者の方からの学費で成り立っていますが、生徒からの感謝というのも大切な報酬です。それをもらえているかどうか、常に意識して指導を行ってください」と話しています。

    小嶋なるほど。「人が人を育てる」という意識が、貴校の教育の根底にあるのですね。貴校は他校に比べて専任の先生の比率が非常に高いように感じていますが、これも同様の理由ですよね。ただ、人件費という部分ではかなりの負担があるのではないですか。

    淡路校長本校には現在100名の教職員がいて、うち専任が80名となっています。人件費は確かに高いですよ。しかし、一人採用したら30年以上の間、生徒と学校に影響を与えるわけです。何といっても生徒を育てるにあたって、何が一番大切かといったらそれは教員だと思っていますから、必要な投資だと思っています。だから節約は常に考えていますよ。例えば、業者への発注は、定価では買わない。まず値引きです。広告などもばら撒きはしない。必要なところへ金を使います。現在大手の雑誌広告は季節や行事を考えて出し、また受験生の多い地域のタウン誌などの活用も効率を考えて出しています。学内でも、各部、各教科の予算は必要なものを予算化して前年度予算は参考にしない等。カネは使い方でナンボというところです(笑)。専任の先生が多くても何とかやっていけます。教員の待遇にも気をつかっています。研究費、図書費についてもそれぞれの成長のために必要だと思うので、できるだけ予算をとるなど。それと先生方の健康管理のために、秋にはインフルエンザの予防接種も全員受けてもらっています。先生方が気持ちよく生徒のために指導してもらえるようにという意識は常に私の中にあります。

    多様な社会へ変化している今こそ組織の力が求められる

    小嶋たとえば教科や学年ごとに先生の研修や指導などはされているのでしょうか。
    淡路校長近年、社会は画一的な生活から多様な状況へと大きく変化しています。現在もそのきざしはありますが、今後はますます多様な生徒が入ってくるでしょう。同時に多様な価値観を持った親もみられるでしょう。「十人十色」ならまだしも、「一人十色」くらい多様化する時代が来ているのではないかと思います。
    先生というのは責任上、自分のクラスの問題は自分で解決しようとする意識がありますが、今日では構造上それが難しくなってきたと私は見ています。こういった状況においては、学年ごとの組織化をし、教員がそれぞれ抱えている問題を共有化して解決していくということがますます必要となってきます。ですから浅野では学年単位で担任が集まる「学年会」が常に開かれ生徒の情報交換をしています。さらに生徒の指導に関する問題がある場合には専門家(カウンセラー)も同席して検討するなどもしています。また、教科ごとの「教科会」については教員どうしが知識と指導方法を共有することで、指導のレベルアップをはかっています。ここでのやりとりをもとに、本校ではオリジナルの教材を教科共通でつくっています。

    小嶋それまで個々人で持っていたものを共有することで一人ひとりの向上をはかる。その上で自己の能力で展開していくということですね。

    自分の課題は自分の頭の上にある

    淡路校長このような形で組織の力を借りることは、先生方に生徒へ120パーセントの力で向かってもらうための一つの手段だと考えています。外部の研修も大切だとは思いますが、目的を持って参加しなければ得るものは少ないと思います。本校にも他校からたまに視察にいらっしゃいますが、「大学に合格させるにはどうしたらいいか方法を教えてください」と言われてもそんな薬があったら私たちの方が欲しいですよ(笑)。何をあなたは今日勉強にきたんですかと聞きたくなってしまう。そういう意味で本校の教員は目的をもった研究ができていると思います。多くの場合、自分の課題は自分の頭の上にあります。ですから他校の真似ではなく自校の生徒をよく見ていればその答えも足下にあり、おのずと問題は解決できると考えています。
    小嶋なるほど。個人の能力を高めるためにも組織がある、という捉え方なんですね。学年ごとに小職員室がつくられているのも先生方のコミュニケーションのためですか。

    淡路校長そうですね。他校にはあまりないようですが、そういった目に見えない条件も活用してくれているので情報の共有化がスムーズに行なわれていると思います。
    組織力とは少し違うのかもしれませんが、教員集団の雰囲気も大切にしています。生徒を育てる際、環境や雰囲気といったものも、目に見えないけれども非常に大きな要素なんです。どんなに教科書やカリキュラムが良くても、教員どうしが足を引っ張り合ったりしているような状況では、生徒は伸びませんよね。
    1年の始まりには学年、分掌ごとに目標を立て、学年主任と各部の部長が校務運営委員会の場で発表します。そして毎週、今の状況について経過報告をしたり情報交換をしています。

    小嶋毎週ですか。PDCA(Plan Do Check Act)がしっかりしているんですね。

    トップダウンとボトムアップのバランスが大切

    淡路校長そうですね。目標も経過も、教員全員に知らせるようにしています。そうすると、例えば中1の学年主任は上級学年の情報が得られます。来年中2に上がっていくわけですから、中2になるとどんな課題があるのか気が付かなければ困りますが(笑)、先取りの学習ができるわけです。6学年分の生徒指導上の課題を皆が共有して問題解決に取り組めるのです。その目標が1学期ずつ生徒にも下ろされていく。終業式には私の挨拶と教務部長からの学事報告と生徒指導部長からの結果報告があります。学習の課題と生活の課題は、生徒にとって大事な二本柱ですから、生徒にしっかり受け止めさせたいのです。
    よく私学ではトップダウンのほうがうまくいくと聞きますが、私は、トップダウンとボトムアップのバランスが大切だと思います。このバランスが上手くいかないと、トップが現場を知らない学校になってしまう危惧があります。本校は教員が自分達でよく考えていると思いますし、私のほうも、なにかあるとどこへでもすぐに飛んでいくようにしています。また、お互いの関係を円滑に保つために「報・連・相(報告・連絡・相談)」も意識し、特に、相談が円滑に行われるよう心がけています。
    小嶋トップダウンとボトムアップのバランスをうまく保つために、どのような工夫をされていますか。
    淡路校長人間関係がうまく展開するように人的配置には気を配っています。しかし、人どうしのことですからその調整が思うようにいかない場合もあります。反発というよりも、それぞれの考え方があるから、ぶつかった場合にはこういう方針でやってくださいとトップダウンで意見を下ろすこともあります。本校は六五歳定年ですが、学年主任と各部の部長は40代から50代初めくらいです。幸いなことに年長の先生方は大所高所から助言をしてくれています。部長は校長の考えを十分理解してマネジメントしてくれていますし、私も各部の部長とよく話し合いをもっています。
    小嶋事務方についてはどう考えますか。さきほどお話しされていた目標発表と経過報告などは事務の先生方にも徹底されているのでしょうか。

    淡路校長そこは徹底しています。事務も教員も生徒のためのスタッフであるという認識は同じです。例えば事務の窓口でも生徒の指導(しつけ)をしますし、学校説明会で良い学校だと思ってもらったとしても、本校に電話がかかってきたときに事務の対応がぞんざいだったら学校の魅力はなくなりますよ。だから「事務は学校の顔」だと常に指導しています。
    本校の教員と事務職員はお互い仲も良く、たとえば2万部に及ぶ学校案内資料の封筒入れをしたりなどの作業も一緒に行いますし、合同でスポーツや食事会も行っています。コミュニケーションはよく取れていると思います。

    キャリアデザインの考え方に立った説明会で広報活動を

    小嶋今学校説明会のお話が出ましたが、説明会において工夫されている点はありますか。

    淡路校長やみくもに生徒を集めるのではなく、「受験生を伸ばす説明会」で顧客をつくることが必要だと思っています。
    本校では7年前から学校説明会は5月に1度だけです。他校のように何度も学校説明会を開催していないので当時はお叱りを受けました。しかし、5月に学校説明会をするのには意味があります。中学受験はゴールではありません。受験生にとって次のステージ、思春期を過ごすステージ探しなのです。まだ少々偏差値が足りなくても、この学校に行きたいと子どもがイメージを持ったら目標ができるでしょう。目標を持った子は1年間を2年分に使うんです。本校の高校3年生がそうですけど、目標を持ったらどんどん自主的に勉強してくる。彼らと同じです。そして9月に体育祭や文化祭で生き生きした生徒たちを見ていただき、10月の入試説明会では入試問題の分析などをお話しします。そこから入試に向けてもうひと頑張りしてもらう。そういった受験生のための、親子で安心して受験に向き合える流れを作っているのです。
    こういった子どもの成長発達を考えて、キャリアデザインの考え方からの広報活動もありなのではないかと思っています。

    「社会の中の学校」という視点でこれからも教育を続けていく

    小嶋最後に、今後の課題や他校へのアドバイスなどを教えてください。

    淡路校長最近、学校説明会でも「目に見えるもの」ばかりをウリとしてあげる学校が多いように思います。しかし、たとえば校舎を新しくしてもそれを目玉にできるのは数年です。英語の教科書はプログレスだとか、最新のパソコンを百台設置しているとか、カリキュラムはどうだとか、そういった説明もよく聞かれますが、それが本当に生徒のための説明になっているのか、疑問に感じることもあります。
    その点、浅野のアピールポイントは「目に見えないもの」なんです。もちろん教科書は生徒の力を伸ばすために使うものですから、生徒の成長をよく見て改訂したり変えてはいきますが、特別取り上げて広報するようなものではありませんし、施設は見てもらえればわかります。また、カリキュラムにしても、例えば、料理と同じで、料理の材料や作り方は同じでも、料理人の違いで味も出来ばえも違ってくるでしょう。だから、教員の生徒へのかかわりや、クラブや行事での気付きやその実践など、やっていることは同じでも生徒の育ち方は違ってきます。人が人を育てるということです。学校はあくまで人を育てる場であるという一点に拘り、浅野にはその点でお話しすることがたくさんあります。学校として大切な部分の質的向上をはかっていこうと先生方と話し合っています。
    それから、本校として大切にしている視点はやはり「社会の中の学校」であるということです。いずれ社会に出て行く生徒達にとって本校での学びは、かならずや将来に活かされるという認識を忘れてはいけないと思うのです。それが90年近い歴史と伝統をもつ本校の建学の精神だからです。同時に、生徒に接する教員も、一番身近な社会人でなければならないと認識しています。今後も浅野の建学の精神を礎にして学校経営を続けていきたいと思います。