第18回 田園調布学園中等部・高等部

  • 「私学としてどうありたいか」その思いが学校を変えた
    入試改革をきっかけに、教職員の思いがひとつになった
    田園調布学園中等部・高等部 校長 西村 弘子 先生
    聞き手:株式会社コアネット副社長 小嶋 隆
    「私学マネジメントレビュー」第25号(2008年7月発行)より転載
    1926年に調布女学校として創立され、2004年には調布中学校・高等学校から校名を変更し、新たなスタートを切った田園調布学園中等部・高等部。2002年度からスタートした独自の「新カリキュラム」と礼法を重んじた女性教育で安定した人気を保っている。改革の秘訣、きっかけはいったい何であったのか、西村弘子校長にお話をうかがった。

    小嶋貴校は地道ながら確実に一歩一歩、改革をされている学校だと感じます。校舎の改築や校名、カリキュラム変更など、近年大きな変化を遂げられましたが、改革を進めていく中で、ご苦労などもあったのでしょうか。本日はそのあたりをお話しいただければと思います。

    入試の日を2月1日に戻したい、悔しい気持ちが起爆剤に

    西村校長実は私どもは、他校さんのように「さぁ改革するぞ」というような改革の仕方はしたことがないのです。ただ、その時々の学校としての課題を設定し、改善をしてきました。結果としてより良く改善していきたいと思っていたことが、条件も整ってきていいタイミングで変わっていくことができたという感じです。
    小嶋そのような貴校独自の改善スタイルは、いつ頃から始まっているのでしょうか。

    西村校長私達の改革は、まず本校らしい入試スタイルの模索から始まったように思います。時期は30年ほど前からでしょうか。1970年代、中学の入試は2月1日に2科目で行なっていました。しかし、1970年代の後半から、2月1日の入試において、少しずつ本校への志願者数が減ってきました。当時は200名の定員に対し、志願者数は240名程度でした。でも定員は集まっていましたので、それほどの危機感というのはありませんでした。
    ところが、1979年には受験した生徒のほとんどを合格させるような事態に陥りました。最終的には非公開で2次募集をし、何とか定員を満たすこととなってしまいました。その結果を受けて翌年からは2月1日と6日という日程にし、しばらくは志願者も順調に増えていました。そこで、生徒の総合的な学力を重視したいということで、1987年に4科目入試に変えました。しかし、そうなると思うように志願者が集まらず、2年後、1回目入試を2月1日から3日に移さざるを得ない状況になりました。さらに、帰国子女も受け入れて門を広げました。当時は実情に対応せざるを得ない変更でしたが、その過程で、募集対策の委員会ができ、資料を作り、説明会を開き、ととにかく大変でしたが、学校が外に目を向け始めたことで、外からの目を意識し始めた時期だったと思います。成果も上がりました。
    1994年に私が総務部長になり、全面的に募集に関わることになった時、何としても入試日を2月1日に戻したい、2月1日に入試をしてこそ私学なのだという想いがムラムラと湧いてきました。今思えば、そこから学校が能動的に動き始めたのかもしれません。
    そこで、当時の4科目・2回入試を、1995年入試から1回増やす形で2月1日を2科目で復活させたのです。これをいずれは4科目にしたいという想いはもちろん強く、1999年から2科・4科選択とし、最終的に2007年入試で4科目に戻すことができました。

    教職員の想いを大切にした方針の決定

    小嶋なるほど。2月1日に入試をしてこそ私学だ、というお気持ちはよくわかりますが、実際競合校が多い中である意味輪切りになってしまい、受験生が集まりにくくなってしまいますよね。そこをあえて1日に戻すというご決断はかなりのものだったと想像します。教職員の方々の想いや理解もそこにはあったのでしょうね。

    西村校長そうですね。以前入試を3日に移動した際、「撤退した」という意識は管理職だけでなく多くの教職員にもありました。ですから、1日に戻れるよう努力をしなければいけないという意識もあったでしょう。本校には熱い想いを持った教職員が多くいますので、私は、その後もその想いを大切に、方針を決めてきたつもりです。そのせいか、また元々まじめで熱心な気質がそうさせているのか、本校の教職員達には決まったら熱心に実行する、という空気があります。入試日を1日に戻した当時についても、他校に抜かれるのならそれを承知でやるべきことをしよう、というようなある意味がむしゃらな部分がありましたね。今でこそさまざまなデータを駆使して、競合校との比較等をしますけれども、その時は想いが先行していたと思います。
    今思い返せば、この入試に関する動きをきっかけに、「自分達は私学なのだから」という意識が教職員に芽生え、一致団結したように思います。このことは募集にとどまらず、その後の様々な変革に結びついていきました。

    小嶋なるほど。2月1日に戻りたいという、先生方の熱い想いがひとつの起爆剤になったわけですね。加えて先生方の想いを汲んでの方針決定がその後の動きをスムーズにしたのでしょうね。「自分達は私学だ」という想いが募集以外の変革にも結びついたとのことですが、例えばそれがどのようなものにつながっていったのか、お話しいただけますか。

    「私学らしさ」を見直すためのプロジェクトが始動

    西村校長「自分達は私学だ」という意識は、「だからこそ6年一貫教育をしたい」という想いにつながっていきました。もちろん当時高校から入ってきた生徒達も学校の雰囲気によく馴染んで達成感を得て卒業していってくれていましたが、私達の中にはもう少し時間があれば、もっと育ったというもどかしさも残りましたし、中学から六年間きっちり関わっていきたいという想いは強くなりましたね。ちょうどその時期に、本校の建学の精神を現代語訳する、という作業を行ったのですが、そこでさらに一貫への意志を強くし、2003年より高校の募集停止に踏み切りました。
    さらに、6年一貫教育の中身についても検討を続け、変更を加えていきました。6年間を「基礎育成期」「個性伸長期」「発展充実期」の3期に分けて指導していますが、その特色を強化し、「プロジェクトチーム」をいくつか作って授業時間やカリキュラムなども見直しました。

     

    小嶋「プロジェクトチーム」というのはどのようなものなのでしょうか。構成や役割などを教えていただけますか。

     

    西村校長プロジェクトチームは、通常の教科や分掌の枠を超えた期間を限ったチームです。解決すべき課題が発生した時に、数名の教員でチームをつくり、解決・実施に向けての検討を行うというものです。1999年から毎年のようにつくっておりますが、特に2000年の活動は、全教員がどこかのプロジェクトチームに配属され、検討に加わるという大規模なものとなりました。この時期、本校は2002年着工に向けて校舎の建て替え計画を進めておりまして、そのためにさまざまな検討が必要でした。同時にカリキュラムを見直すことにしていたので、さまざまな部分の検討が必要となったのです。
    その内容は例えば「2期制における行事の配置」「調布の『総合』―体験型行事の趣旨の明確化」「土曜プログラムの作成」「『情報』のあり方」「授業評価の方法」「校舎改築中の課題洗い出し」など多岐にわたり、数ヶ月間の検討結果が報告された後、実行に移したり、課題を次のテーマとして新たにチームをつくって検討をしたりしました。

    「一人で100歩でなく皆で一歩」という意識を大切に

    小嶋通常のお仕事に加えて、短期間で成果を出さなければいけない課題があるということは、本当に大変なことですね。当時の先生方の様子はいかがでしたか。また、短期間で課題を形にするためのコツはあるのでしょうか。

     

    西村校長2002年実現に向けてのプロジェクトの際は本当に大変だったと思います。ただ、学校はやはり小さな組織ですから、全員でやっていかないと力にならない。以前の後援会長がよく言われていましたが、「一人が100歩じゃなくて、皆で一歩でいいんだ」そういう意識が大切で、皆本当によくやってくれたと思います。
    各プロジェクトチームの課題については、こちらで方針を決めて、チームで詳細を考えてもらうというやり方をとっています。例えば、土曜プログラムの検討については、「土曜日をどうするか」というよりも、「土曜プログラムは、真のリベラルアーツを学ばせるなど普段の授業とは違うものにしたいから、そのプランを立ててください」というようなお願いの仕方です。また、検討結果は必ず研修会等で周知徹底を図ります。

    小嶋その辺、貴校はスムーズですよね。そこでまず反発がある学校も多いと思いますが。

     

    西村校長幸せなことに、本校は本当に先生方が生徒に関わることだったら労苦を惜しまないところがありますね。プロジェクトチームというやり方が新鮮だということもあるかもしれません。

     

    小嶋加えて貴校の場合は、トップの方針が明確だという良さがあると思います。
    さきほどの土曜プログラムにしても、漠然と「土曜日になにをすべきか検討してください」と投げると、先生方も何をきっかけに考えればいいのか、またトップが何を求めているのか等迷ってしまい、議論が進まず、先生方にとっても負担になりかねませんよね。その点貴校の場合は検討すべきことが明快で、先生方にとっても良いと思います。
    ちょうどこの時期、「調布中学校」から「田園調布学園中等部」というように校名変更をされましたね。校名については外部から、変えたほうが良いという意見がそれまでも多かったような気がするのですが、この時期に変えられた、というのは何か意味があったのでしょうか。

    変わるにはふさわしい時期が必ずある

    西村校長私達としても校名はずっと変えたいと思っていました。実際、入試でジリ貧になってきていた1980年代にも校名変更の問題が浮上していました。ただその時、私は一教員でしたけれど、あまり積極的ではありませんでした。といいますのも、中身をどう変えていくのか無くして、看板だけ変えても仕方ないという意識がありましたから。案の定、同窓会の賛同も得られず、立ち消えになりました。
    その後1990年代に入って、私学らしさを出していくというような時に、校舎を改築し、2002年からカリキュラムの枠組みも変えていく、そのような段階を経て、この田園調布という地にある私学なんだということを広く訴えたいと思いました。学校名が変わっても卒業生も私達も学校を愛するという気持ちは皆一緒ですから、こちら側の想いさえきちんとしていればわかってくるはずだと伝えたところ、賛成し大いに応援してくれたのです。
    この経験を経て、「何かを変えるにはそれにふさわしい時期が必ずある」ということがわかりました。結果ばかりを急いでもその場しのぎにしかならないどころか、かえって逆効果になることもあると思います。生徒にとって本校で過ごす今の時期が一番大切ですから、学校に試行錯誤は許されません。そういう意味でも周りの状況に流されすぎず、本校らしさと教職員の想いを大切にし、今後も変化していきたいと思います。本校の動きは決してスピーディーはなく、奇抜さや新鮮さは無いかもしれませんが、それが本校らしさだと考えています。

    小嶋なるほど。中身をきちんと固めてから、外見を変えていく、ということですね。貴校から感じる安心感、信頼感はそういうところから来ているのかもしれませんね。でも外から見ていると、確実に改革を進められているように感じます。
    校名変更、校舎建て替え、カリキュラム変更などの大きなプロジェクトが終了し、貴校は今どのような状況なのでしょうか。
    西村校長2000年プロジェクトは本当に大変でしたが、現在は校舎も新しくなり、環境としては一息ついた状態です。とはいえここ数年で入ってきた教員もいますから、大変な時期を経験してきた層と、そういう時代を知らない層が混じり、その意味でのギャップはあります。それぞれの層の現在の活動を認め、全体としての一体感をどう作っていくかがこれからの課題でもありますね。コミュニケーションを密にとっていくことで、それを実現していければ、と考えています。また、カリキュラム・シラバスの充実など課題は常にかかえていますのでプロジェクトも継続してデータの裏づけをもって教育活動を行いたいと考えています。それから、プロジェクトとは別に毎年、年度はじめに私のほうから今年度の方針を発表します。これは私が校長になってからずっと続けているものです。

    方針発表、具体化、実施、チェックがひとつのサイクルに

    小嶋先生が毎年年度始めに職員会議で発表される運営構想の資料を見せていただきましたが、教育内容、広報活動、会議の運営方法など、学校経営全般についての方針が記されていて、ここまで具体的に表現されているのは私も初めて見ました。これは校長先生から直接先生方にお話しされるのですか。
    西村校長はい。基本的なものから細々したものまで話します。例えば生徒募集というのは本校の教育全体にとっても重要なことですので、現実に受験生の動向を表した資料を示して話したりもします。また、本校らしさをどう表現していくか、建学の精神を現在化した教育方針のことや、過去の校長たちは教員に対して何を求めていたか、などを話すこともありますね。
    小嶋確かに、今自分の学校が置かれている状況は、広報部はわかっているけれど、他の先生方や事務職員の方は知らないということもありますからね。こういう形での情報共有というのは、他校ではあまりないかも知れませんね。また、変えるべき部分はここ、変えない部分はここ、だけど世の中はこう動いているんだよと先生のほうで示されているのは非常に面白いですね。
    資料も校長先生が自らパソコンで作成されたんですか。

     

    西村校長はい、けっこう好きなんですよ(笑)
    こういう示し方をしていきますと、入試広報室もデータをきちんと集積するようになってきました。
    この方針を受けて、一度各分掌で話し合ってその後運営委員会、主任会で方針を具体的に出してもらい、それをまた職員会議で周知する、という流れです。年度末にはその結果を各分掌から報告してもらい、次年度の方針につなげていきます。校長になった当初は年度を振り返る、ということがなかなか難しかったのですが、それをするようになって、随分と意識や活動も変わりましたね。PDCAサイクル(Plan, Do, Check, Act)の大切さを実感しています。特に、Checkの部分は感想や意見ではなく、裏付けを求めるようにしています。
    教員の間には温度差もありますしなかなか難しいですけれど、今後もできるだけ全員で取り組んでいきたいと考えています。

     

    小嶋経営方針を出し、実施状況をチェックする。これを毎年続けていらっしゃるのは本当に素晴らしいですね。これは事務職員の方にも同じように実施されるのでしょうか。

    同じ仕事をすることで教員と事務の関係が良好に

    西村校長はい。職員会議には事務長しか出られませんが、事務長を通して事務には一度伝え、後日私のほうから内容を補完することもあり、教員と事務は、私はどちらも大切な両輪だと考えています。職種からくる意識の違いはあるかもしれませんけれど、できるだけ融合させたいと考えています。入試広報室も事務職員と教員が一緒にメンバーになっていますし、他の会議にもできるだけ事務に入ってもらうようにしています。逆にそのほうが運営がうまく行くんですよ。毎年、4月に新任研修を行ないますけれど、そういう時も新任の教職員と事務員は一緒に参加しています。現在、双方のコミュニケーションは良い状態だと思っております。
    小嶋事務は事務だけと任せるのではなくて、すべてに対してコミットしないまでも、ある程度事務職員を入れることによって理解させる、また逆もしかりで、それでコミュニケーションの充実を図られているということですね。
    次に広報活動についてお伺いします。具体的にはどのような方法をとられていますか。
    西村校長塾訪問は教員全員で行っています。外から自分の学校がどう見られているかを知ることはとても大切ですし、門前払いされる経験、親しくなって色々な情報交換ができる喜びの経験も大切だと思います。
    あとは、塾訪問時、説明会の説明で、私学としての本校の良さを伝えていきたいですね。
    小嶋私学らしさを出しきれていない学校もあるんじゃないかということでしょうか。

     

    西村校長大学合格実績や、偏差値がこう伸びてきましたなどの表現のほうが若い保護者の方にはわかりやすのかもしれません。
    しかし、学校教育はそういうものだけじゃないと伝えていきたい。ちょっとおこがましいけれど、やはり社会に出てみれば学歴や偏差値をひっさげているわけでもないし、そこで何が大事かといったら、もっとよくしたいという目的意識を持って働くということですとか、人としてのあり方ではないかと思うんですね。その目に見えない部分をどう示していくか、難しいのですが。

     

    小嶋授業評価は今どの学校もやられていますが、やりっぱなし、という学校も多いようですね。貴校の場合は結果をもとにした面談、目標提出、改善確認と、フォローをしっかりされていますね。ここまでやれば改善は必至、と思うのですがいかがでしょうか。

     

    西村校長そうですね。授業評価を導入して五年になりますが、年を経るごとに教員一人ひとりの評価が向上しているので、結果的に学校全体の授業の質が上がっていると確信しています。
    それを保護者の方達にも確認してほしいので、授業公開を春と秋の2回、行っています。それぞれ1週間ずつという長めの期間設定をし、できるだけ普段の授業の様子を見てもらえるようにしています。公開授業の後には、必ずアンケートを書いてもらっています。そのアンケートは集計して、教科と本人に渡します。保護者からの意見により、教員の意識を変えていこうという狙いもあります。

     

    小嶋外部研修などにも力を入れているようですね?

     

    西村校長本校の場合、教科の研修だけでなく次世代のリーダーの育成にも外部研修は良い経験となっています。1教員にとって、自分の位置づけや役割は、学内にいるとよく見えず、わかりにくいものだと思います。それを、「あなたたちが次にこの学校を担うリーダーだ」と言って外部研修に出すことで、その教員にも自覚が芽生えますし、良い刺激を受けて帰ってきます。また、すべて研修に出た場合は報告を出してもらって、それを皆で共有するようにしています。

     

    小嶋最後になりますが、公立の中高一貫、女子校の共学化、学校吸収合併など様々な変化があります。今現段階で、私学が意識しなければならないこと、学校改革の助言などがあればお聞かせ願えますか。

    私学は私学ならではの良さに自信を持つべき

    西村校長「アイデンティティ」という言葉が適切かどうかはわかりませんが、私どもの原点は「私学らしさ」です。公立校を否定するわけではありませんが、私学だからこそできる教育があると私は思います。例えば、今の若者は私の時代よりも優れているところがたくさんあると思っていますが、全体的に帰属意識、自己肯定感、当事者意識が薄れているような気がしています。私学には、生徒に安定感や自信を植え付けていくプログラムがたくさんあると思います。本校の場合だったら精神的な部分は「講話」とか「精進日誌」とか「礼法」という授業などですが、他の学校にもさまざまな形であると思います。そういった建学の精神に基づいた一貫した教育は、生徒に自分自身を見つめさせ、良いところを見出し伸ばしていく素となると思います。やはり私学は始めと終わりにばかり留意するのではなく、毎時間の、毎日の、毎年の教育活動そのものに自負を持って積極的にアピールして行くべきだと思います。
    さらに、卒業生のネットワークも生徒にとって大きな支援になりますし、また、自分が教わった先生がずっといてくれて、我が子も同じ教えを受けるということも帰属意識を高め、安心安定につながるでしょう。
    そのような私学らしさに自信を持って「生徒よかれ」に貫かれた改善を続けていきたいと思います。